研究によると、周囲の自然環境に存在する微生物が人間の腸内や皮膚の微生物叢に影響を与える可能性がある。フィンランドの研究では、森林の土壌を使った遊び場で遊んだ子供たちの腸内と皮膚の微生物叢の多様性が向上し、免疫マーカーも改善された。生物多様性仮説によると、自然環境に接することで、人間の微生物叢の多様性が高まり、免疫とアレルギーの経路にも変化をもたらし、健康に良い影響を与える可能性がある。
腸内の微生物はわたしたちの健康に重大な影響を及ぼすが、研究によると、周囲の環境に存在する微生物、いわゆる 自然環境 マイクロバイオーム も同じように大きな影響をもつ可能性があるという。そうなると、屋内でも屋外でも、わたしたちはもっと自然に接する時間を増やしたほうがいいのかもしれない。 わたしがこの新しい科学分野のことを知ったのは、スタンフォード大学教授グレチェン・デイリーの話がきっかけだった。教授が紹介していたフィンランドのある研究プロジェクトでは、林床[編註:森林の地表面のこと]の土壌を使った庭で幼稚園年齢の幼児を遊ばせると、園児の腸内 マイクロバイオーム に明らかに好ましい変化が見られたという。調査対象となったのは都市部に住む79人の幼児で、ほとんどの時間を国内の保育施設で過ごしている。違いは、その保育施設に3種類の屋外スペースがあることだった。 ひとつ目はごく標準的な屋外の遊び場で、使われている素材はコンクリート、砂利、プラスチックマットだ。ふたつ目は以前から自然派志向だった保育環境でよく見られるタイプで、芝生や土があって植物も生えている。この2種類を比較基準として、実験的な第3の遊び場となったのが、コンクリートと砂利の上に、近隣の針葉樹林の林床からとった土壌を被せたものだった。 28日におよぶ実験期間中、子どもたちにはこの3種類の遊び場のうち、できるだけ1種類だけで遊ぶよう指導した(複数の種類の遊び場を備えた保育施設もあるため)。遊び時間の前後それぞれで、皮膚のスワブ[編註:医療用の綿棒でぬぐった検体]や糞便のサンプルから採取した細菌の遺伝子配列を解析し、子どもたちの皮膚と腸内の微生物叢を測定するとともに、血中のT細胞とサイトカインも測定する。いずれも、自己免疫と自己免疫疾患を予防するうえで、極めて重要な役割をはたす細胞やタンパク質だ。そのため、その水準は人の免疫システムがどのくらい適性に機能しているかを示す指標として使われることが多い。 結果は一目瞭然だった。実験的な遊び場で遊んでいた子どものほうが、都市型や自然派志向の遊び場で遊ぶ子どもたちと比べて、皮膚と腸内の微生物叢の多様性が高くなったのだ。重要なのは、これがいわゆる「善玉菌」、つまり健康によい細菌だということだ。子どもたちの免疫マーカーについても大きな改善が見られた。免疫調節経路が強化された兆候であり、炎症性腸疾患やリウマチ性関節炎といった免疫介在性疾患のリスクが低減していることを示している。 関連記事:微生物と免疫:都会の遊び場に“森”を移したら、子どもたちの体の環境も多様になった この研究の重要性は特に注目に値する。短時間であっても、自然の中の多様な微生物に接触していると、皮膚と腸内の微生物叢の多様性が劇的に変わる可能性があるという傍証になるからだ。しかも、腸内微生物叢が変化すると、免疫システムの機能が改善される可能性もある。 腸内に存在する微生物群は、人それぞれで異なっている。人種、食生活、抗生物質の利用状況、身体の大きさ、運動量などのすべてが腸内微生物の多様性に明白な特徴を残すからだ。そうした微生物群の役割は大きい。人間の臓器は、必要なアミノ酸20種類のうち11種類しか合成できないため、残りの9種類と必須ビタミン13種類は、 腸内細菌 によって取得あるいは合成されるからだ。 腸内の微生物群は、栄養分の摂取を補助するだけではなく、免疫抑制、抗がん、炎症抑制などの点で健康に欠かせない物質も生成している。免疫システムや中枢神経系といった機能や、それに伴う健康状態にかかわっていると考えられており、特定の腸内微生物叢、いわゆる「悪玉菌」と特定の疾患との間には明確な相関関係も見つかっているほどだ。腸内微生物との関係が明らかな疾患としては、過敏性腸症候群、炎症性腸疾患、セリアック病、結腸直腸がんなどのほか、肥満や2型糖尿病のように腸以外の疾病も知られている。 わたしたちの腸内 マイクロバイオーム は、遺伝的な背景よりも、人間を取り巻く環境──栄養、ライフスタイル、抗生物質の使い方などまで広く含めて──による影響のほうを強く受けているらしい。 腸内細菌 のうち、遺伝的に受け継いだものは8%に過ぎないと考えられている。ここには深い意味がある。わたしたちは、環境を変えることで消耗性疾患の一部を予防あるいは改善できるかもしれないということになるからだ。では、腸内微生物叢を変えるには、どんな取り組みが必要なのだろうか。 医療の専門家からは、少なくとも9種類のアプローチが提唱されている。なかには、糞便移植やファージ療法のように深く医療にかかわる方法もあれば、地中海式の食事療法やザワークラウトなどの発酵食品をとる療法のように簡単に実践できるものもある。 関連記事:抗生物質耐性菌との戦いに、いまこそファージ治療の治験が注目されている そこでまだわからないのが、自然とそこに存在する マイクロバイオーム にもっと接するにはどうすればよいかということだ。特に、自然由来の微生物叢に接するほうが、プロバイオティクスを経口摂取するよりもはるかに有効だということが明白になったいま、その情報が強く求められている。 人間と同じように陸上植物と土壌にも、多様で複雑な微生物群が生息し、相互に影響を与え合っている。こうした マイクロバイオーム は、植物の栄養摂取と成長に不可欠な役割をはたすほか、病原体に対する回復力を改善し、ストレス下でも植物の成長を維持する。植物と土壌の マイクロバイオーム にも、人間の場合と極めて類似した微生物群が存在し、人間の腸内や皮膚でも特に多く見られる5種類の細菌門が共通している。 環境 マイクロバイオーム に接している時間があると、それが皮膚に移ったり腸内に取り込まれたりして、人の腸内微生物叢とそれに伴う健康状態を大きく改善すると唱える新しい説がある。これを「生物多様性仮説」といい、最初に提唱されたのは20年前のことだ。ヘルシンキ大学中央病院の医学者リーナ・ヴァン・ハーツェンとターリ・ハーテラ、および同大学の生物科学部で生物多様性学を専門とするイルカ・ハンスキーが唱えた説だった。生物的に多様な 自然環境 の中で過ごすと、人間の体内で微生物叢の多様性が高くなり、微生物の種類も量も増えて日々の栄養摂取機能が向上するうえに、自己免疫疾患など各種の疾病の予防にもなるという。 それから過去20年にわたって、生物多様性を調べる一連の研究が続けられ、生物多様性仮説はさらに3つの仮説に分類されるようになった。第1は、 自然環境 と都市環境で微生物の多様性にはかなりの違いがあるという仮説。第2は、自然に近く接しているとその微生物多様性が人間の身体にも伝わり、わたしたち自身の微生物叢を変化させるとする仮説。そして第3は、自然由来の微生物多様性が体内に存在すると、免疫やアレルギーの経路にも変化をもたらし、結果的に健康に好ましい影響をおよぼすという仮説だ。 おおむね正しいと証明されたのが、 自然環境 と都市環境で微生物の多様性と量に大きな違いがあるという第1の説だった。遺伝子解析ツールを使って微生物群を確認し、空気中や土壌中、さまざまな環境に生育する植物の葉で微生物多様性を測定したのだ。対象となったのは、森林や花壇、牧草地など各種の 自然環境 で、それを都市部で一般的な芝生、宅地、公園、再緑化した林地、放置されたままの林地などと比較した。米国、カナダ、オーストラリア、英国、フィンランド、インドの各国でそうした環境を調査した結果、自然度と生物多様性が高い環境ほど、そこに生育する微生物は種類も量も多いことがわかり、例外はまったくなかった。 自然を家庭内に持ち込んだらどうなるかを調べるために、実験は屋内でも行なわれた。特に注目に値するのは、殺菌した部屋に半年間オリヅルランを置き続けたら室内の空気がどうなるかを調べた研究だ。半年後には、周囲の床や壁で、植物にとって有益な微生物の多様性が大幅に上がっていた(量も種類も)。しかも、オリヅルランの葉における多様性は変化していなかったことから、オリヅルランが室内の微生物の多様性に著しい影響を与えたものと推察されている。 第2の仮説として調査する必要があったのは、こうした自然由来の微生物群が人間の身体に移ったり取り込まれたりするかどうかだ。生物多様性仮説の提唱者のひとり、イルカ・ハンスキーは、フィンランドの都市環境や半農村環境に住む118人のティーンエイジャーから皮膚のスワブを採取し、皮膚の微生物多様性を測定した。結果は明白で、樹木、低木、顕花植物など、住んでいる環境の生物多様性が高いほど、皮膚の微生物も種類と量は多かった。 同じヘルシンキ大学のアニルードゥラ・パラジュリとその同僚も、フィンランドの高齢者48人を対象として同様の研究を行なっている。周囲に植物がほとんどない都市部のアパートに住む人のほうが、200m以内に庭のある人の場合と比べて、糞便サンプルに含まれる「善玉」の腸内微生物叢が大幅に少なかったという。 だが、こうした変化を引き起こすのが、食事やペットなどほかの要因でないことは、どうすればわかるのだろうか。この重要な疑問の答えになりそうな研究も近年進んでいる。例えば、有機土を扱う被験者についての研究がある(土壌の違いは大きい。化学肥料が入った土壌は性質がまったく異なり、「善玉菌」も少ない)。皮膚のスワブに対する遺伝子解析を用いて、手に付いた微生物叢を調べたのち、被験者は堆肥、森林の芝、コケの生えた土、泥炭地の土など各種の土壌や植物に由来する物質に20秒間、手をこすり合わせる。そののちに5秒間、石けんは使わず水だけで手を洗い、ペーパータオルで水分をとる。この状態でもう一度、皮膚のスワブを採取し、遺伝子を解析する。その結果、土に触った後には皮膚の微生物叢に顕著な違いが見られることが判明した。環境 マイクロバイオーム の特性が、被験者の皮膚に移っていたということだ。 この結果から、環境 マイクロバイオーム が容易に吸引されたり摂取されたりすることもあるのではないかと類推するのは当然だろう。そして実際、そのことは別のふたつの実験で確かめられている。アデレード大学のケイトリン・セルウェイらは、被験者がオーストラリア、英国、インドの都市緑地で過ごした前と後でその鼻腔に存在する微生物叢を測定した。同じ場所で、土壌中、空気中、植物における微生物多様性はそれ以前に調査済みだった。その結果、生物的に多様な都市緑地で過ごした後では、被験者の鼻腔と皮膚で微生物の多様性が明らかに高くなったことが判明している。被験者の数は多くないため、あくまでも予備試験として扱う必要はあるものの、多様な 自然環境 に接すると、わたしたちの身体は周囲の環境に存在する微生物の特性を受け継ぐということがわかり始めたのは間違いない。 では、第3の仮説についてはどうか。人間の微生物叢がこのように変化したとき、わたしたちの健康に影響する重要な変化はあるのだろうか。ここでも、期待のもてそうな結果が出ている。ティーンエイジャーを対象にしたフィンランドの研究でハンスキーらは、アレルギー反応を起こすことがわかっている特定の抗体を血液スクリーニングで検出し、そこに明確な関係があることを突き止めた。血中のアレルギーマーカーが最も少ないのは、生物多様性の高い地域に住む被験者だったのだ。同様に、フィンランドの高齢者を対象にした研究でも、多様な植生に囲まれた地域に住む被験者のほうが、病原性の確認されている微生物が腸内で少ないという結果になった。炎症性腸疾患に関係することが多い腸内微生物叢の発生が少ないことも確かめられている。 このふたつの研究で示された通り、環境中の微生物叢に接すると腸内微生物の生態系が改善される可能性があり、わたしたちの免疫システムにも影響する可能性がある。わざわざ「可能性がある」と表現しているのは、ごく最近まで、こうした研究では因果関係ではなく相関関係しか示されていないからだ。研究のほとんどは、被験者をプラセボ群と介入群に分けて結果を比較する盲検試験が実施されていない。 それでも、過去2年の間にこうした問題に対処する研究が始まっている。 なかでも重要な研究を進めたのが、同じヘルシンキ大学のマヤ・ロスランドらだ。冒頭で紹介した実験で得られた知見に基づいて、ロスランドらは免疫介在性疾患に関する生物多様性仮説について、二重盲検プラセボ対照試験を実施した。つまり、プラセボ対照群と介入群を設けただけでなく、実験にかかわった誰もが、また実験の実施を担当した誰もが、それぞれの群の実態を知らない状態で試験を行なったのだ。 被験者は3歳から5歳までの幼稚園児で、28日間にわたって毎日最大2時間まで砂場で遊んだ。ただし砂場には2種類あり、一方は多様な微生物を含む土壌が混入されており、もう一方は土壌を混入せず微生物が少ない。そのどちらか一方だけで園児を遊ばせ、実験開始前と開始後14日目、28日目にそれぞれ、砂場の砂、園児の皮膚、糞便で微生物群を測定する。血液サンプルも実験開始前と14日目に採取し、T細胞の種類も測定した。T細胞は、その種類に応じて自己免疫反応を緩和あるいは強化するという重要な役割をはたす。インターロイキン-10(IL-10)は、炎症抑制反応を引き起こす際に重要な機能をはたすことが知られており、したがって血中では多いほど望ましい。逆にインターロイキン-17(IL-17)は炎症誘発性があるため、炎症性腸疾患やリウマチ性関節炎、いくつかの硬化症といった疾患に関係している。 このような実験の結果について、その意義を十分に理解するには、これらのT細胞について詳しく知ることが重要だ。微生物の多い砂場で遊んだ園児は、皮膚の微生物多様性が大幅に高くなり、土壌の組成と極めて近くなった。何より重要なのは、園児の血漿でIL-10が増えてIL-17が減ったことだ。プラセボ群では、微生物多様性についてもT細胞の種類についても、そのような変化は見られなかった。土壌を混入した砂場で遊んだ園児のほうが、実験期間(28日間)を通じて皮膚の微生物多様性が高かったことから、介入群では好ましい結果が得られたといえるのである。 これがいたって新しい科学分野であることは間違いなく、不完全な点もまだ多い。とりわけ理解すべき重要な点は、自然由来の微生物叢に接することが、すでに自己免疫系その他の疾患にかかっている人でも有効かどうかだ。これまでの実験はすべて、健康な被験者に対して実施されてきた。 望ましい効果を得てそれを維持するために、こうした自然由来の微生物叢とどのくらい長く接する必要があるかという点についても答えが必要だ。短期間でも接触があれば変化が期待できることは明らかになった。では、その効果を得るには、毎日それが必要なのだろうか。環境中の微生物叢を常に「補充」する必要があるらしいことは、フィンランドで被験者に土壌を扱ってもらった研究からうかがい知ることができる。実験開始から35日後には、そこに微生物叢が確認されなくなったのだ。つまり、自然由来の微生物叢と接するのをやめると、人間の身体に存在する、あまり健康的ではない微生物叢が再び増え始めるのではないかと予想されるということだ。 キャシー・ウィリス|KATHY WILLIS オックスフォード大学の生物多様性研究の教授。英国貴族院議員。著書に『Good Nature: The New Science of How Nature Improves Our Health』[未邦訳]など。 (Originally published on wired.
com, translated by Akira Takahashi/LIBER, edited by Michiaki Matsushima) ※『WIRED』によるマイクロバイオームの関連記事はこちら。 『WIRED』の「THE WIRED WORLD IN 20XX」シリーズは、未来の可能性を拡張するアイデアやイノベーションのエッセンスが凝縮された毎年恒例の大好評企画だ。ユヴァル・ノア・ハラリやオードリー・タン、安野貴博、九段理江をはじめとする40名以上のビジョナリーが、テクノロジーやビジネス、カルチャーなど全10分野において、2025年を見通す最重要キーワードを掲げている。本特集は、未来を実装する者たちにとって必携の手引きとなるだろう。 詳細はこちら。
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