海見渡す丘で「不自然な溝」 名護・陣地跡、戦中のビール瓶か 沖縄 - 琉球新報デジタル
ぬかるんだ地面に足を取られながら、ロープを伝って登ると、眺望に驚かされた。東に久志岳や辺野古岳、西は名護湾の南側や恩納村方面まで見渡せる。東側の眼下には、山々を縫うように走る国道329号線。名護親方(程順則)の像が柱に鎮座する「長堂橋」を行き来する車は、小さく見えた。
日本軍の陣地とみられる遺構が見つかった名護市世冨慶の丘陵で7日、土地所有者の男性は「米軍が太平洋から来ると思って東側を監視していたのだろう」と想像を巡らせた。丘の頂上でいくつも伸びる「不自然な溝」は、敵の砲弾をよけるためか、直角に曲がったり、合流したりしながら、西側の反対斜面に空いた大きな穴へとつながっていた。以前はリュウキュウマツがうっそうと茂っていて暗く、溝もはっきりと残っていたという。瓶の模様などからたどると、アサヒビールやサッポロビールの前身の大日本麦酒の製造品で、昭和初期(1920年代)から、戦前、戦中のものとみられる。大日本麦酒は1949年に、2社へ分離して消滅した。遺構との関係は不明だが、少なくとも75年以上前のものとみられる。
名護市史によると、1945年4月、名護市世冨慶の住民は、遺構が見つかった大筋原一帯などの山中で、避難小屋を建て、山ごもりを強いられたという。近くの名護岳、東江原周辺には、少年らで組織した第一護郷隊(第3遊撃隊)が展開していた。世冨慶大筋原の一帯は、戦時下で軍と民が入り乱れて、存在していたとみられる。 さらに、沖縄に上陸した米軍は1945年4月5日、名護市許田湖辺底の付近に食料などを備蓄する集積地を構築した。沖縄戦研究者の川満彰さんによると、集積地を構築する様子を隊員らが山の上から見ていたとの証言が残る。多くの隊員がいた名護岳から、今回遺構が見つかった世冨慶を通り、許田周辺まで移動をしていたとみられる。遺構は護郷隊の活動範囲にあった可能性がある。
ゲリラ戦を強いられた護郷隊の記録はほとんど残っておらず、その実像はいまだ明らかになっていない部分もある。一方で、名護市では近年、瀬嵩の丘で散兵壕、多野岳周辺で交通壕が相次いで見つかるなど、草の根の研究も進んでいる。沖縄戦から79年、体験者が亡くなる中で、世冨慶の陣地跡も、北部地域の戦争の一端を映し出しているのかもしれない。
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