《後に夫となる周英明氏は昭和36(1961)年に来日し、国民党一党独裁に反対する台湾独立派の機関誌「台湾青年」にペンネームで小説を書き始めた。同じ年、留学生…
《後に夫となる周英明氏は昭和36(1961)年に来日し、国民党一党独裁に反対する台湾独立派の機関誌「台湾青年」にペンネームで小説を書き始めた。同じ年、留学生組織「中華民国留日同学会」の理事を決める選挙が行われた》
トップ当選はグレーゾーンのなかで一番背が高くてハンサムな早稲田の大学院生でテニスをやっていた人。2位が許世楷(後に独立運動家。後年、台北駐日経済文化代表処代表)で、これもグレーゾーンのイケメン。選挙には見栄えというのが大事なんだと痛感した。 みんなね、若くて、純粋で、不器用だからバレバレなのよ。それで彼に言った。「孫明海ってあなたでしょ」って。びっくり仰天の表情だったけど、肯定はしない。「台湾青年」に執筆していると分かったら、国民党ににらまれるからね。でも、彼の表情でバレバレ。純粋で不器用な人だなって思った。 後で聞いたんだけど、周英明はもともと歴史や哲学が好きだったんだけど、文学部では食べていけないと言われて断念したみたい。台湾では優秀な人はみんな医学部だけど、彼は血を見るのが怖くて電気系の工学部を選んだという。私はどちらかといえばイケメンでダンスが上手な人が好みだったんだけど、不器用で純粋な、この知識の深い青年に惹(ひ)かれていった。東大の留学生は左派が多く、どちらかといえば大陸の中華人民共和国寄り。で、台湾独立派の周英明は落選よ。ショックで話し相手がほしかったのか、いきなり電話がかかってきた。「これからどこかに出かけない」って言うから、出かけるのは面倒だからうちにこないって答えた。ちょうど一緒に住んでいた妹が帰郷していたから。
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