「終わらなかった戦争」がある。79年前の8月15日、太平洋戦争で敗れた日本が降伏を宣言した後も、日本の統治下にあった南樺太(現ロシア・サハリン南部)では、ソ連軍の侵...
「終わらなかった戦争」がある。79年前の8月15日、太平洋戦争で敗れた日本が降伏を宣言した後も、日本の統治下にあった南樺太(現ロシア・サハリン南部)では、ソ連軍の侵攻によって地上戦が展開された。ソ連の軍隊と移民が押し寄せる中で、日本人はどう暮らし、生き延びたのか。そして今何を思うのか。元島民に語ってもらった。【法政大・岩村凌(キャンパる編集部)】現在、北海道旭川市に住む石田アイ子さん(89)は、久春内(くしゅんない)村(現サハリン州イリインスキー)で生まれ育った。父親の仕事は板金業で、母親、祖母、6人兄弟の9人家族。アイ子さんは上から4番目だった。久春内は、南樺太の真ん中、北緯48度線付近にある人口3000人程度の村だった。オホーツク海に面した樺太は、冬場の寒さが厳しく雪が吹き付ける極寒の地。米が育たず、主食は麦。食生活は質素だった。
しかし、その生活も決して長くは続かなかった。1947年6月20日。石田さんら村人たちがソ連政府から引き揚げ命令を受けたのだ。急いで布団などを詰めた。駅へ向かうと、そこには住民や将校ら、多くのソ連人が見送りにきていたという。こうして日本人、ソ連人が平和的に共存できたのは、例外的なことだったのかもしれない。ソ連軍の侵攻で、南樺太では民間人を含む5000人以上の日本人が死亡した。地上戦と、その後の引き揚げで悲惨な経験をした人は数多くいる。 また軍隊とともに樺太に大挙して押し寄せた移民は、誰も食料や財産を所持していなかった。石田さんはこんな話を聞かされたという。「ソ連政府から、新しい土地があって、家も財産も手に入るから、手ぶらでいってこられるからと紹介された」。しかし現実はまったく違い、食料や住居が手に入らず苦しむことになる。石田さんも「ジャガイモをわけてほしい」と頼まれることがあったという。そして略奪行為に走る者も出た。
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