第2次世界大戦末期の旧ソ連による対日参戦から9日で78年が過ぎた。侵攻したソ連軍の攻撃で当時、日本領だった南樺太(現ロシア・サハリン南部)では、数千人もの住民が犠牲となった。だが松野博一官房長官が6月...
第2次世界大戦末期の旧ソ連による対日参戦から9日で78年が過ぎた。侵攻したソ連軍の攻撃で当時、日本領だった南樺太(現ロシア・サハリン南部)では、数千人もの住民が犠牲となった。だが松野博一官房長官が6月の記者会見で沖縄を「唯一の地上戦があった地域」と述べるなど、不正確な理解は今も続く。高齢化で数少なくなった当事者たちは「悲惨な歴史が忘れられてはいけない」と訴える。
豊原空襲では100人以上が死亡。南樺太各地で日ソ両軍の交戦が繰り広げられ、住民の集団自決が相次いだ。正確な犠牲者数は今も不明だが、南樺太からの緊急疎開船3隻が留萌沖合でソ連軍の潜水艦に攻撃され、約1700人が死亡した「三船遭難事件」を含めれば5千人を超えるとの見方もある。 旧民主党政権時代の10年5月、衆院沖縄北方問題特別委員会で、同党の山岡達丸氏(現立憲民主党)が、沖縄を国内唯一の地上戦とする表現は不適切だと指摘。前原誠司沖縄北方担当相(当時)が「多くの尊い命が失われたという意味においては樺太戦も同様」と述べ、政府は11日後、「沖縄本島、その周辺のみで地上戦が行われたとする認識は必ずしも正確ではない」との答弁書を閣議決定した。
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