「なぜ、自分は助かったのか」ーーー津波が迫るなか、教員と高台を目指した小学生は、そのことを問い続けながら、みずからも教員を志すようになりました。震災を体験した私だからこそ。WEB特集です。
一方で三浦さんは、津波で当時64歳だった祖父を亡くしました。建設業を営んでいた祖父は従業員を先に避難させていて逃げ遅れたといいます。 「津波へのきちんとした認識を持っていれば祖父も助かったのではないかと悔しい思いでいっぱいでした。私は助けてもらったけれど、やっぱり、自分の命は自分で守らなければいけないことを痛感しました。そのためには、小さい頃から学校などで災害への知識を身につける『防災教育』が重要だと思ったのです。祖父を亡くしたことが教員を目指すきっかけになりました」災害から子どもの命を守るために教員に求められることとは。去年4月、3年生になった三浦さんは、大学が新たに設けた『311ゼミナール』に参加することにしました。このゼミは東日本大震災の教訓を生かした学校の防災対策や防災教育の在り方について主体的に学ぶのが特徴です。あの日、最初に避難したのは標高14メートルにある学校近くの駐車場。そこで元校長の柴山洋子さんが語ったことばに三浦さんは驚きました。当時の学校の危機管理マニュアルではこの避難場所しか定めていなかったというのです。三浦さんたちは畑に再避難。しかし、そこにも津波が迫ってきます。柴山さんは、偶然居合わせた住民の意見で、学校周辺で最も高い保育園に向かうことを決めます。.
一方で三浦さんは、津波で当時64歳だった祖父を亡くしました。建設業を営んでいた祖父は従業員を先に避難させていて逃げ遅れたといいます。 「津波へのきちんとした認識を持っていれば祖父も助かったのではないかと悔しい思いでいっぱいでした。私は助けてもらったけれど、やっぱり、自分の命は自分で守らなければいけないことを痛感しました。そのためには、小さい頃から学校などで災害への知識を身につける『防災教育』が重要だと思ったのです。祖父を亡くしたことが教員を目指すきっかけになりました」災害から子どもの命を守るために教員に求められることとは。去年4月、3年生になった三浦さんは、大学が新たに設けた『311ゼミナール』に参加することにしました。このゼミは東日本大震災の教訓を生かした学校の防災対策や防災教育の在り方について主体的に学ぶのが特徴です。あの日、最初に避難したのは標高14メートルにある学校近くの駐車場。そこで元校長の柴山洋子さんが語ったことばに三浦さんは驚きました。当時の学校の危機管理マニュアルではこの避難場所しか定めていなかったというのです。三浦さんたちは畑に再避難。しかし、そこにも津波が迫ってきます。柴山さんは、偶然居合わせた住民の意見で、学校周辺で最も高い保育園に向かうことを決めます。
