《上方落語協会会長として、落語定席(じょうせき)「天満天神繁昌亭(てんまてんじんはんじょうてい)」のオープン(平成18年)に向けて奔走していたころ、師匠であ…
最初は「腰が痛い」といわれるので僕が医者を紹介すると、何でもない、と。そのうちに、おなかが異常に膨らんできて「師匠、太りましたか?」と聞いたら師匠は「そうやねん、最近ビールの酒量が増えてなぁ」という答えだったのですが、実はがんで腹水がたまっていたのです。間もなく、奥さんから病名を告げられました。
余命半年―。奥さんから「絶対に師匠には言わんといて」と頼まれた僕は一門の弟子をレストランに集めて〝事実〟を打ち明けたのです。「ええか、(弟子の)家族にも話したらアカンぞ」とクギをさした上で、「(入院中の三重県の病院に)〝お別れ〟に行け」。それも皆がいっぺんに行ったら、師匠もおかしいと思うから「順番に、や。師匠の前では絶対に泣くなよ」と…。その光景は、なんか、討ち入り前の赤穂浪士四十七士みたいでしたなぁ。 入院中の師匠が温泉に入りたいというので弟子らで連れていったことがあります。何人かの弟子が海水パンツ一丁になって、ベッドに寝たままの師匠を温泉に入れました。その後の食事会で師匠は寝たままマイクを握って「今日はありがとうな。ワシもはよう元気になって高座で落語でけるよう頑張るわ」とあいさつされた。みんな、涙をこらえるのに懸命で、食事ものどを通りませんでした。(意識がなくなる前に)師匠の願いをかなえてあげたい、ということでした。当日、僕は現地へ行けなくて、後で写真を見せてもらいましたが、かなり、しんどそうでしたね。《17年3月12日、五代目文枝は亡くなる。享年74。繁昌亭開場には間に合わなかった》弟子には、うるさく言う人ではなかった。〝ほったらかし〟に近いのに、うまいこと弟子は育つ。一門から2人も紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章者(※六代文枝と文珍)が出たところなんて他には、ありませんからね。「時代」が違うといえばそれまでですが、特別に豊かでもなかったのに、師匠は弟子たちをすごくよく世話してくれた。一人前の落語家にしてもらったのです。
弟子も皆、師匠のことが大好きでした。人柄が良くて、情があって…人徳でしょうね。だから、弟子たちも何かあると、しょっちゅう師匠の家に集まったし、亡くなってからも、お参りや奥さんのところへ行くのを欠かさなかったのです。プレッシャーですか? それはなかったですね。皆それぞれがんばっていたし、弟弟子のきん枝(し)(現・四代目小文枝)と文珍がいて、小枝(こえだ)もいる。皆がそれぞれの役割で一門をよくまとめてくれましたから。
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