オリックスと米大リーグで通算4367安打を記録したイチロー氏が、野球殿堂入りを果たしました。引退後、高校球児への指導に励んでいるイチロー氏は、阪神・淡路大震災から30年を迎える17日、自身の経験を子供たちに伝え、日本の野球の力になれるよう進んでいくことを誓いました。
イチロー氏(51)=本名鈴木一朗=が野球殿堂入りしました。今年で51歳を迎えるイチロー氏は、オリックスや米大リーグで通算4367安打を記録した伝説的な選手です。2019年の引退以降、未来を担う子供たちへの野球指導をライフワークとしています。17日に阪神・淡路大震災から30年を迎えますが、イチロー氏は自身の経験を子供たちに伝え、日本の野球の力になれるよう邁進していくことを誓っています。イチロー氏は、幼少期からプロ野球選手になることを夢見て練習に励んでいました。ドラフト4位でオリックスに指名され、神戸でプロ野球人生をスタートさせました。転機となったのは、仰木彬監督との出会いでした。イチロー氏は仰木監督を「唯一の師と呼べる存在」と表現し、監督なしでは今の自分はないと語っています。個を重んじる指揮官の仰木監督は、イチロー氏をプロ3年目の94年からレギュラーに抜擢しました。期待に応えるようにイチロー氏は「振り子打法」と呼ばれる独特の打撃フォームで安打を量産し、才能を開花させました。指導者の後押しを受けて2001年からは大リーグで活躍。日本人初の野手としてデビュー1年目で242安打を放ち、史上2人目のMVPと新人王をダブル受賞するなど、唯一無二の存在として記録を打ち立てていきました。2019年3月、超満員のファンにスタンディングオベーションで送られた東京ドームでの引退試合を「人生の大きな支えになると思います」と感謝し、28年に及んだ野球人生を「未練があったり、後ろ向きな気持ちは全くない」と胸を張って言い切りました。野球一筋に生きてきたイチロー氏は、新たな生きがいも見つけています。それは高校球児への指導です。彼は「彼らとの出会いが僕の大いなる目標であり、モチベーションになっている。子供たちが向き合う野球は純粋なものであってほしい。時代で変わっていくものはあっても、変えてはいけないものもある。そこを僕は強く意識して、子供たちと接していきたい」と高い理想を掲げています。「安打製造機」「孤高の天才打者」。イチロー氏はクールなイメージで語られてきました。しかし、日本球界の未来を担っていく子供たちに向けるまなざしは厳しくも温かい。「自分が動けなくなるまで野球に携わって、日本野球の力になりたいと思います」。未来に向けて決意を述べたイチロー氏です。イチロー(本名鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年10月22日生まれ、51歳。愛知県出身。現役時代は右投げ左打ちの外野手。愛工大名電から91年度ドラフト4位でオリックス入団。94年から7年連続首位打者。00年オフにポスティングシステムでマリナーズ移籍。メジャー1年目の01年に首位打者となりア・リーグの最優秀選手と新人王。2度目の首位打者となった04年は262安打でシーズン最多安打。12年7月にヤンキースへ移り15年からマーリンズ。18年マリナーズ復帰。19年現役引退後はマリナーズの会長付特別補佐兼インストラクター就任。06・09年WBC日本代表。候補入り1年目での選出 競技者表彰が始まった1960年以降、候補入り1年目での選出はビクトル・スタルヒンさん(1960年)、王貞治さん(94年)、野茂英雄さん(14年)、工藤公康さん(16年)、松井秀喜さん、金本知憲さん(ともに18年)に次いで史上7人目の快挙となる。.
イチロー氏(51)=本名鈴木一朗=が野球殿堂入りしました。今年で51歳を迎えるイチロー氏は、オリックスや米大リーグで通算4367安打を記録した伝説的な選手です。2019年の引退以降、未来を担う子供たちへの野球指導をライフワークとしています。17日に阪神・淡路大震災から30年を迎えますが、イチロー氏は自身の経験を子供たちに伝え、日本の野球の力になれるよう邁進していくことを誓っています。イチロー氏は、幼少期からプロ野球選手になることを夢見て練習に励んでいました。ドラフト4位でオリックスに指名され、神戸でプロ野球人生をスタートさせました。転機となったのは、仰木彬監督との出会いでした。イチロー氏は仰木監督を「唯一の師と呼べる存在」と表現し、監督なしでは今の自分はないと語っています。個を重んじる指揮官の仰木監督は、イチロー氏をプロ3年目の94年からレギュラーに抜擢しました。期待に応えるようにイチロー氏は「振り子打法」と呼ばれる独特の打撃フォームで安打を量産し、才能を開花させました。指導者の後押しを受けて2001年からは大リーグで活躍。日本人初の野手としてデビュー1年目で242安打を放ち、史上2人目のMVPと新人王をダブル受賞するなど、唯一無二の存在として記録を打ち立てていきました。2019年3月、超満員のファンにスタンディングオベーションで送られた東京ドームでの引退試合を「人生の大きな支えになると思います」と感謝し、28年に及んだ野球人生を「未練があったり、後ろ向きな気持ちは全くない」と胸を張って言い切りました。野球一筋に生きてきたイチロー氏は、新たな生きがいも見つけています。それは高校球児への指導です。彼は「彼らとの出会いが僕の大いなる目標であり、モチベーションになっている。子供たちが向き合う野球は純粋なものであってほしい。時代で変わっていくものはあっても、変えてはいけないものもある。そこを僕は強く意識して、子供たちと接していきたい」と高い理想を掲げています。「安打製造機」「孤高の天才打者」。イチロー氏はクールなイメージで語られてきました。しかし、日本球界の未来を担っていく子供たちに向けるまなざしは厳しくも温かい。「自分が動けなくなるまで野球に携わって、日本野球の力になりたいと思います」。未来に向けて決意を述べたイチロー氏です。イチロー(本名鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年10月22日生まれ、51歳。愛知県出身。現役時代は右投げ左打ちの外野手。愛工大名電から91年度ドラフト4位でオリックス入団。94年から7年連続首位打者。00年オフにポスティングシステムでマリナーズ移籍。メジャー1年目の01年に首位打者となりア・リーグの最優秀選手と新人王。2度目の首位打者となった04年は262安打でシーズン最多安打。12年7月にヤンキースへ移り15年からマーリンズ。18年マリナーズ復帰。19年現役引退後はマリナーズの会長付特別補佐兼インストラクター就任。06・09年WBC日本代表。候補入り1年目での選出 競技者表彰が始まった1960年以降、候補入り1年目での選出はビクトル・スタルヒンさん(1960年)、王貞治さん(94年)、野茂英雄さん(14年)、工藤公康さん(16年)、松井秀喜さん、金本知憲さん(ともに18年)に次いで史上7人目の快挙となる。
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