闇夜の中の百貨店。誰もいないはずの場所に何かがいる──。 閉店後の百貨店を舞台に、Apple Vision Proを装着して体験するホラーコンテンツが誕生した。共創型オープンイノベーションラボ 「STYLY Spatial Computing Lab(SSCL)」のプロジェクトメンバーであるJ.フロント リテイリングとSTYLYが「体験百貨店」というコンセプトでリアル × 空間コンピューティングのコンテンツを生み出した。J.
ここは夜の百貨店。 誰もいない店内に、マネキンが不気味に浮かび上がっている。その通路を、Apple Vision Proを装着した人々がライトで足元を照らしながら進んでいく。目の前には血まみれの女性が現れたかと思うと、謎の足音が忍び寄ってくる。遠くからは「ぎゃあ」「うわあ」といった悲鳴が聞こえてくる──。 平日の百貨店、営業終了後のこと。「STYLY Spatial Computing Lab(SSCL)」による新しいコンテンツ体験会が開催された。Apple Vision Proを装着し、閉店後のフロアでホラー体験をするというこのイベント。通路、階段、エレベーターなど、フロア全体にホラーコンテンツが散りばめられている。リアルな店舗空間と空間コンピューティングが融合した同コンテンツは、どのようにして生まれたのだろうか。 「体験百貨店」をつくるために ──まずは今回のApple VisionProのホラーコンテンツが生まれた経緯を教えてください。 渡邊遼平(以下、渡邊) SSCLは、新しい空間コンピューティング・デバイスである「Apple Vision Pro」を活用して、コンテンツを開発し、ユースケースを創出することで、新たなビジネスを生み出していくための研究開発機関です。 単に「Apple Vision Proで何ができるのか」という技術的な視点にとどまらず、実際の活用シーンを見据えて考えることが重要だと考えています。 今回は SSCLメンバーであるJ.
フロント リテイリングとの取り組みです。J.フロント リテイリングはリアルな店舗を運営していますので、どんなアセットや可能性があるのか、ワークショップ通じて一つひとつ棚卸しをしていきました。わたしたちにしかできない、お客さまの心に響くユニークな体験を提供したいと考えたのが、この取り組みの出発点です。 東田中康仁(以下、東田中) わたしたちは、パルコや大丸・松坂屋といったリアルな商業施設をもっているという強みがあります。だからこそ、そうした空間にARやMRといったテクノロジーを組み合わせることで、これまでにない楽しい体験が生まれるのではないかという可能性を感じていました。そこにApple Vision Proが登場し、これから空間の体験が加速度的に進化していくとワクワクしていたタイミングで、ワークショップがスタートしました。 淺田史音(以下、淺田) ワークショップでは最初にみなさんの原体験からアイデアの種を探り、 そこで得た気づきを基にアイデアをさらに拡げ、企画としてブラッシュアップしました。展示視察やXRの作品鑑賞を通じて、「音のAR体験」「五感に働きかけるXR体験」の理解を深めたりして。東田中さんのチームでは早い段階から「夜の百貨店+怪談」というアイデアがありましたよね。 東田中 そうですね。最初のワークショップで淺田さんから「体験百貨店をつくりましょう」というコンセプトをいただいたのですが、実はこれが、わたしにとっては衝撃的だったんです。というのも、わたしたちは「百貨店」といえば、たくさんの商品を取りそろえた「モノを売る場所」という意識が強くて。もちろん、イベントも開催しますし、文化的なコンテンツを展開するケースもありますが、「百貨店そのものが体験の場になる」という発想は、わたしたちにとってはとても新鮮でした。 淺田 小さいころ、母に連れられて百貨店によく行っていたんです。いつもわくわくしていたのですが、いまの自分にとって百貨店は、正直少し距離のある存在になっていました。 本来、百貨店はさまざまな美しいもの、きらびやかなものが並んでいて、わくわくしながら探しに行く場所で、非日常を体験しに行く空間です。ですから百貨店のもつコンセプトや空間の美しさと、空間コンピューティングというレイヤーを重ねることで、さらに輝くのではないかと感じ、ワークショップで「体験百貨店」というコンセプトを打ち出しました。 東田中 ワークショップでさまざまなXRコンテンツに触れて気付いたのは、これまでのXRはテナントの一角のような箱型の空間という限られた場所で楽しむ形式が多いということです。淺田さんからも「商業施設全体の中から、XRを組み合わせることで面白い体験ができる場所を探してみては」というヒントをいただいて。「それなら、百貨店全体を使ってみよう」と。 ──リアルな店舗をもつJ.フロント リテイリングならではの発想ですね。 東田中 最終的にはワンフロアになりましたが、最初はフロア全体、館全体を「お化け屋敷化」にしようとしていました。XRとお化けは相性がいいと思うのですが、営業時間中で、空間が明るいと面白さが半減してしまう。だから夜間がいい。夜の百貨店という非日常の空間にXRを重ねることで得られる「体験価値」は、非常に高いのではないかと考えました。 「侵入禁止」もあえてコンテンツに ──閉店後の百貨店を利用するにはさまざまな調整が必要なのではないでしょうか。 東田中 そうですね。商業施設は日中の営業を前提につくられていますので、夜間にイベントをやろうとすると、仕組みや体制以外にも、さまざまな課題が出てきます。そもそも、お客さまにはどこから入場していただくのか、暗い中でどうやって安全に、しかも楽しんでいただけるのか、細かく検討していきました。 当初は屋上も使用したいと考えていましたが、階段を上り下りしてフロアを移動するとセキュリティ面でのリスクが増えてしまう。今回は安全面を考慮して、ワンフロアでの体験に落ち着きました。 ──夜の百貨店だからこそ注意すべき点は、どのようなものがありますか。 東田中 商品を陳列しているショップ・売場以外の通路や階段周辺、エレベーター付近といった場所を中心に展開しました。もちろんショップ・売場の中には一切入らないというのが前提でコンテンツをつくっています。ですが、体験中の動きは予測できないところもあり、導線を工夫したり、ショップ・売場と通路のあいだにリアルのパーティションを引くのはもちろん、「この先は進めない」ということが分かるコンテンツもつくりました。デバイス上で、体験者の行動範囲をコントロールしています。 ──体験会は会場となる百貨店の裏の従業員通用口集合でしたが、従業員以外の方はなかなか見られないバックヤードを見るのも、少しワクワクしました。 東田中 わたしたちとしては非日常感も楽しんでいただきたい部分です。そこも演出として物語として仕上げていけたらと思います。もちろん通常お客さまが侵入できない部分を通って誘導しますので、お客さまの安心安全とショップ・売場への迷惑がかからないように一定の制限はあります。ですが、会社としては新しい取り組みにはどんどんチャレンジしていきたいので基本的にポジティブに捉えていました。 渡邊 わたしたちが使っているのはあくまで既存の商業空間なので、制約が多く、課題を挙げたらきりがないくらい(笑)。でも、Apple Vision Proを使ったというのも大きなポイントだったと思います。このデバイスでなかったら、そもそもマーカーの認識自体が成立しなかったかもしれない。 Appleの空間認識の性能は素晴らしくて、ほかのHMDと比べてもセンサー類が圧倒的に優れていると感じました。まだデバイスとしては価格が高いし、サイズ的にも取り回しが難しいというデメリットもありますが、暗い環境でも正確に顔や周囲のスキャンができるという性能は、今回のような特殊な状況では大きなアドバンテージでした。デバイスに助けられながら、課題をひとつずつ潰していって、ようやく「体験として成立するレベル」にもってこられたのが、今回の成果だと思っています。 「明るさ」との戦い ──このホラーコンテンツは、体験者が百貨店を歩きながら、Apple Vision Proでロケーションマーカー用QRコードが入ったマーカーを読み取ると、さまざまなホラーコンテンツがARで表示されるというものでした。コンテンツ制作での苦労はありましたか。 渡邊 営業時間外は店舗の照明が落ちるので、暗いですよね。ホラーコンテンツとしては暗いほうがもちろんいいのですが、照度が低い環境だと、今回設計していた「マーカーを使った体験」が成立しないんです。マーカーはデバイス側のセンサーで読み取りますが、そもそもデバイスがある程度明るい環境で特徴点を認識してスキャンする前提で設計されています。今回のような「暗い中で、がんばって読み取る」なんていう思想は、ハードウェアの設計者のなかにはなかったと思います。Appleに今回の企画を共有したときにも、「それはクレイジーだね」と言われました(笑)。 ──確かに明るい場所でのホラー体験は怖くないですよね。 渡邊 そう、明るすぎてもダメなんです。マーカーのデザインを読みやすいものに調整するのはもちろん、ホラー演出をキープし、安全性も担保しないといけない。結果的に、お客さまにライトを持って探索してもらうような演出にして、マーカーがしっかり読めるような設計にしました。演出の一部として照明を組み込むことで、全体的には暗さを保ちながらも、体験に必要な場所だけ明るくして、リアリティと技術要件の両立を目指しました。 ナイトタイムエコノミーの新しいビジネスモデル ──体験会を終えて、手応えはいかがですか。 東田中 体験会後の「夜のXRイベントに興味がありますか」というアンケートに対して、35人中28人が「興味がある」という回答でした。かなりポジティブな評価をいただいたと思っています。もちろんこれから実現に向けて、まだまだ乗り越えなければならないハードルはありますが、最終的な完成形に向けて、引き続きチャレンジしていきたいです。 わたしたちはXRという技術に対して強い興味があるので、つい「面白いものをつくろう」と技術側から考えてしまうのですが、体験の本質を考えると消費者視点をもつことが何より大事だなと改めて感じました。今回のホラー体験も「XRそのものが楽しい」というよりも、「百貨店というリアルな場所で、これまでにないホラー体験ができる」という点が肝なんです。そこにXRが活用されている、という順番で考えるべきだと思っています。 ──改めて、リアルも重要だと感じました。 東田中 そうですね。実際、霧吹きで水をシュッとかけるような演出や、小道具を使ってアナログで音を出すようなリアルな演出も取り入れました。そういった「リアルのよさ」ももっと引き出せるようなストーリーやコンテンツ設計にしていけたらと思っています。 渡邊 今回の取り組みで、特に「やってよかった」と実感したのが、商業施設の遊休資産を活用できたという点です。通常営業していない時間帯、つまり本来なら収益が生まれない時間の夜に新たな価値を提供することで、収益につなげることができる。これは新しいビジネスモデルだと感じました。 今回、体験会を開催したエリアは、夜にお酒を楽しめる場所はあっても、それ以外のエンターテインメントがあまり多くない。特に、渋谷や新宿に比べるとインバウンド向けの夜の過ごし方の選択肢が少ないと言われています。インバウンドの方が「ドン・キホーテ」に集まっているという話を聞いたときは驚きましたが、そういう人たちが食事前後に立ち寄れる新しい夜のスポットとして、「普段入れない百貨店」という非日常的な空間でコンテンツを楽しむという体験は、グローバルに見てもほかにないのではないかと思います。こうしたナイトタイムエコノミーの観点からも、非常に意味があるコンテンツだと思っています。だからこそ、この取り組みはコンテンツ面だけでなく、ビジネス面でも非常に可能性があるフォーマットだと感じています。 ──全国の商業施設で使えるフォーマットになりそうですね。 東田中 わたしも新しいビジネスになると感じています。まだプロトタイプですので、体験者のみなさんの意見を取り入れながら、コスト面の収益をシミュレーションして、事業としてしっかり詰めていけば、実現可能性は高いと思います。 淺田 今回の取り組みはすごく奇跡的だったと感じています。わたし自身、元々XRなどの領域で作品づくりをしてきたので、クリエイターとしても体験者としても、どうすれば面白い体験が生まれるのかをずっと考えてきました。現実の強度がない状態で、デジタルを重ねても限界があるんですよね。 今回、わくわくしながら体験会に参加させていただいて、空間のもつ強度にデジタルならではの要素がしっかり噛み合うことで、こういうXRのかたちになるんだなと実感しました。最初に掲げた「体験百貨店」というコンセプトが、本当にかたちになっていくかもしれないという希望がもてました。 ──ありがとうございました。夜の百貨店でたくさんコンテンツが生まれそうですね。楽しみです!
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