《これまで、2度の結婚を経験している。自身にとっての「結婚観」とは》
1度目の結婚は1964(昭和39)年。相手はカメラマンの斎藤亢(つよし)さんです。斎藤さんは日宣美(日本宣伝美術会)賞を受賞し、私は装苑(そうえん)賞を取っていた。こんな共通点があったからか、馬が合ってしまって、結婚までとんとん拍子に話が進みました。当時の私はグループサウンズだ、なんだかんだ、と受けに受けているときで、一気に花開いて時代の真ん中にいた。とてもじゃないけれど主婦をやるタイプではありませんでした。
とにかくいい時代で、赤坂にあるディスコ「ムゲン」や「ビブロス」なんかが大流行。最高に楽しくて、毎日のように作詞家の安井かずみさんやグラフィックデザイナーの宇野亜喜良さんら友達たちと繰り出しては、朝方まで踊って飲んで遊んで…。自由に遊びたいのなら、結婚なんてしなきゃいいのに。若気の至り…だったのでしょうか。出会いは都内の自動車教習所。私は失効してしまった免許の再取得のため、教習所に通っていました。出会った当時、教習所ではあまり会話もしませんでしたが、彼はロングヘアで目立っていた。自宅が偶然にも同じ西麻布だったこともあり、交流が始まりました。 彼はもともと実業団のサッカー選手でしたが、「手に職をつけよう」とヘアデザイナーに転身。そんなころ、かわいがっていただいていたデザイナー、石津謙介さん(VAN)から「ジュンちゃんの彼、ヘア(の仕事を)しているなら、(僕の)お店を任せたい」との連絡をもらった。その前に少しの間、パリのサロンでヘアデザイナーの修業ができるということで、高田賢三さんの紹介もあり、彼は渡仏することになったのです。
しかしその後、帝国ホテルでのファッションショーで仕事を頼んだときに、彼は腕のたつスタッフを連れてきて指揮を執っていた。その仕事ぶりに「シビアに人を見極められる人なんだな」と思いました。また、演出家とのもめごとをなんとかなだめていたのも、彼でした。1975(昭和50)年1月、毎週通っている教会の牧師に相談したところ、「2週間後か3カ月後に」という返事があった。善は急げということで、出会って8カ月で結婚式を挙げました。 彼のパリ修業の話はなくなってしまいましたが、もともと人のウケがいい人。苦労はしたと思いますが、会社もそれなりに進展してまいりました。以来、今日まで40年余がたちました。結婚は理屈ではなく神様の導きによるもの。やはり運命で巡り合えたのだと思っています。(聞き手 石橋明日佳)
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