平成30年7月の西日本豪雨で、51人が犠牲になった岡山県倉敷市の真備町地区では今から130年近く前にも大水害に見舞われていた。 自宅全壊の被害にあった郷土史家は「地元の歴史を学び、悲劇に終止符を打たなくてはならない」と訴える。
平成30年7月の西日本豪雨で、51人が犠牲になった岡山県倉敷市の真備町地区では今から130年近く前の明治26年にも大水害に見舞われていた。今月6日で西日本豪雨から3年。真備町地区は氾濫した高梁川・小田川の合流地点に近く、歴史的に何度も大きな水害にあった経験を持つ。自宅全壊の被害にあった郷土史家は「地元の歴史を学び、悲劇に終止符を打たなくてはならない」と訴える。「水位はもっと高かったという説もある。明治26年の大洪水は、倉敷でワーストワンの災害だった」と地元の郷土史家、森脇敏さん(80)は話す。
寺の敷地は一部高台となっており、それらを支える高さ約2・5メートルの石垣の堤は神楽土手と呼ばれる。倉敷市歴史資料整備室にある「吉備郡川辺村地図」では、かつて神楽土手が地域の一部を囲っていたことが確認できる。当時、神楽土手がほとんど取り壊され、地域の防災文化を示す遺構が伝承されなくなっていた。そのことで、地域の防災意識が薄れてしまっていたのではないか、という懸念も残る。
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