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新海誠、Macの向こうから世界を変えたクリエイターが語る「創作の原点と未来」

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新海誠、Macの向こうから世界を変えたクリエイターが語る「創作の原点と未来」
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まさに、Macの向こうから世界を変えた人物。アップルが展開するキャンペーン『Macの向こうから』をご存知でしょうか? Macを使って世界にインパク...

続いてテクノロジーとアニメ表現の関係について聞かせてください。セルアニメの『新世紀エヴァンゲリオン』とデジタル化以降の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』を一つの象徴として比べたとき、デジタルがアニメーション表現に与えた大きな変化は“撮影”と“3DCG”ではないかと思えます。 まさにその通りだと思います。ただ、逆に考えれば、日本の手描きアニメーションの場合には「それくらいしかデジタル技術の導入によって表現が変わった部分はない」とも言えると思います。だんだんとデジタル作画も増えて来ましたけど、基本的には紙が液晶タブレットになっただけだし、彩色など、ほとんど「従来の作業がデジタルになっただけ」です。今後、デジタルが表現面でさらにアニメを変えていくとしたら、それはAIによるものではないかと思います。例えば、一枚キャラクターを塗れば残りのコマはAIが自動で塗るようになったり、動画の中割り(動きの開始と終了の中間コマ)を自動で描いてくれるようになれば、これまで手間を考えて避けていた表現が可能になると思います。また、脚本にも同じようなことが言えるはずです。いえ、基本的にアニメもそこからは逃れていないと思います。結構、身もふたもないことではありますが、近頃のアニメでは光の粒やレンズフレアなどの表現が多く見られるんですけど、そこには“そういうプラグインがあるから、そういう表現が増えている”という部分が間違いなくあります。楽で見栄えの良い表現があるからそっちに傾くということは、今後も起きるでしょうね。そうした“テクノロジーが表現を規定する”ということについて、新海監督はどう思われますか? 例えば『スター・ウォーズ』の最初の3部作(EP4〜6)は”特撮”によって異世界表現を突き詰めたシリーズという側面があり、それに対して次の3部作(EP1〜3)は『ジュラシック・パーク』の3D CGを観たジョージ・ルーカスが「CGを使えば、これまで諦めていた表現が可能になる」と約16年ぶりに始動したシリーズでした。 そうですね。「これができるようになったから、これをやっている」というのは、アニメに限らず、実写映画の分野も含め、常にあると思います。まさに『スター・ウォーズ』のEP1〜3は、フルCGで描かれたジャー・ジャー・ビンクスみたいなコミカルなクリーチャーはもちろん、わけのわからない生き物がいっぱいいる酒場シーンなど、CGによるトライアルがたくさんありましたよね。それは実際に作品の見どころになっているし、僕も好きなシリーズです。そうした「こういうことができるから、こういう作品を作ろう」という気分は、僕の作品にもきっとどこかにあると思います。例えば『言の葉の庭』とか『天気の子』での雨は「CGのアシストでこういう表現ができるから、雨を描きたい」という、技術面からの発想も強かったりします。 ただ、また少し時代が変わって来たのか、『スター・ウォーズ』の新3部作(EP7〜9)では、そうした“テクノロジーが可能にする表現”というテーマは抜けてしまいましたよね。“いかにエンターテインメントとして完結させるか”だったり“キャラクターをいかに愛してもらうか”という、ストーリー面に比重が寄ったと思います。そこで僕が考えるのは、宮﨑駿さんのことです。宮﨑駿さんは、テクノロジーともファンダムともほとんど無縁の世界でずっとチャレンジされている方だと思うんです。だからこそ、僕は彼の新作を心待ちにしているんですよね。「本当は宮崎さんのようにあるべきなんじゃないか?」という気持ちが、自分の中にはずっとあるんです。先ほど、以前よりもMacを日常品の一つととらえるようになって来たと新海監督はお話しされていました。ギズモードはテックやガジェットを扱うメディアとして、“テクノロジーは進めば進むほど、意識されなくなる”という点に興味を向けています。監督としては、テクノロジーはもはやそういう“あまり意識されないもの”という領域に入って来ていると感じますか? 簡単に結論が出るわけではないですが、そういう面はあると思います。アニメにおいても、神山健治監督(代表作『攻殻機動隊 S.

A.C.』シリーズ)はずっとテクノロジーと人間の関わりをテーマとしながら作品を作ってこられたクリエイターですが、近年の作品ではテクノロジーそのものはテーマの中心から徐々に後退していっているような印象があります。“近未来のテクノロジーを予測し、人間とテクノロジーとの関わりのあるべき姿をエンターテインメントの中で描く”というチャレンジは、だんだん難しくなってきているという気はします。 例えば『サピエンス全史』を書いたユヴァル・ノア・ハラリの次作である『ホモ・デウス』では、データを持っているごく一部の支配層と、自分の意思でデジタルデバイスを使うのではなく、デバイスに指示されるがままにコントロールされて家畜化していく人たち、という二極化が描かれていました。こう表現すると典型的なディストピアのようですが、現実に私たちはそれをディストピアと思わなくなってきているんですよね。実際「スマホに指示してもらった方が便利じゃん」と思うこともありますし、さらには「スマートウォッチをつけて脈拍を診てもらっていた方がいい」など、もはや生存権にも関わってきている部分があります。もはやネットワークから外れたら健全な生存ができなくなっていくような世界にどんどん向かっていますし、僕たちはどこかでそれを心地よいと感じて受け入れ始めています。僕自身はそのことに対し考えている最中で、端的に受け止めるべきか、閉ざしていくべきか、まだ判断できていません。「動物として導いてもらった方が、種全体としてはいいんじゃないか?」とか。テクノロジーに限らず、今はあらゆる領域でみんなそういうことを考えながら試行錯誤していますよね。今回の新型コロナウイルスの件も含めて。…まあ、そういう大きな話につながっていくので、これはこの辺にしておこうと思いますけど(笑)。確かにそういう要素はあります。でも、ポン・ジュノ監督『パラサイト』や是枝裕和監督『万引き家族』のような、今の社会そのものがテーマとなっている作品とは少し違うと思っています。でも、そういう作品を作るにしたって、どうしようとも時代性からは自由になれないんですよね。なぜなら僕自身も、観客も、時代の中で生きているからです。『君の名は。』の頃だって、僕が生きる環境は変わっているし、観客の気持ちも変わっている。だから、今の観客に向けて映画を作ろうとすると、社会的な目線がどこかに入るのは避けようもないし、避けるつもりもないから、自然と入って来るんです。でも、だからと言って「社会派の映画を作ろう」と思っているわけではないというのは、自分の中でははっきりとしているんです。なるほど。大衆的なエンターテインメントを作る上で、社会状況が取り込まれるのは自然なことである、と。ちなみに、その一方で、そうした「大衆的なエンターテインメント」の中にも新海監督自身のパーソナルな要素というのは入っているのでしょうか? 入っていると思います。ただ、自分の実体験の投影みたいなものは、作品を重ねるごとに徐々に無くなってきていますね。初期の『彼女と彼女の猫』から、『ほしのこえ』、『秒速5センチメートル』あたりまでは、なんとなく自分の環境を重ねて描いているキャラクターもいたんですけど、自分自身を描くということはかなり減りました。 ただ、それでも、僕が感じていることの片鱗はそれぞれのキャラクターの中に少しずつ宿っているとは思います。具体的には『天気の子』の須賀というキャラクターが言う「どうせ世界なんて最初から狂ってたんだからさ」みたいな台詞には、もしかしたら自分の実感がこもっているのかもしれない。そして自分と歳の離れた若いキャラクターでも、帆高が幸せな状況で言う「これ以上僕たちになにも足さず、僕たちからなにも引かないでください」という言葉に関しても、自分自身の底のようなところから出てきた言葉だという気もします。でも、確実にこれまでの作品と比べ峻別しにくくなっていますね。自分自身でも「これは自分の体験」と言えるほど明快ではなくなってきました。自分自身が歳を取ってきたということもあるし、観客のスケールが変わってきたということもあると思います。昔からの観客もいますし、ずっと応援してきていくれている方々の期待もあるし、なんとなく「メジャーだから観てみよう」という人たちまで、たくさんの人が僕の作品を観てくれるようになりました。そして、オーディエンスと一言で言っても、想定されるパーソナリティーは様々です。だから、僕が作品を作るときに思うのは「なんの前提を踏まえていなくても、単純に楽しめる作品にしたい」ということなんです。 MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)のように過去何十作も観たからこそ楽しめるような作品もあるし、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』みたいな前提知識を知らないと意味不明だけど知っていると楽しいという映画もあるじゃないですか。僕自身そういう映画も好きなんですけど、作家としてはいわゆる大衆作品としての映画を作りたいという気持ちがとても強いんです。 何も知らなくていいし、何も踏まえてなくていいけど、映画館で「こんな経験したことない!」と思うような体験をしてほしい。そんな、誰か若い人にとっての“原体験”になれるような映画を作り出せていければ幸せだなと感じています。それが理想ですよね。「掘ろうと思えば、ここも掘れるよ」っていう形に、できればしていきたいです。キャッチーなものだけで組み立てるのは、それはそれで何作も続けられないですし。だから、もちろん自分なりのテーマは、常にどこか掘り続けていると思うんですよ。ただ、それがいちばんの目的ではない。そう思っています。極端なディテールへの偏執から、禅問答になりかねない漠然とした問い、そしてもしかしたら意地悪かもしれないものまで、こちらが用意した質問に対し、嫌な顔一つせず手を抜くことなく丁寧に答えてくれた新海誠監督。 その言葉の端端から感じられたのは、まず、創作に対する真摯な姿勢でした。サラリーマン時代の苦労があったからこその、切実な創作への欲求。初作品完成の大きな喜びと、それがオーディエンスからの反応を得られなかった深い悲しみ。そして、次作で浴びた喝采の輝き。それらすべてが、今も色あせることなく、彼の中に輝いているように見えました。 そしてもう一つ感じずにいられなかったのは、新海監督が持っているこの世界に対する愛ある視線。「決してきれいなことばかりではない、先行きの見えない世界。それでも、この世界には見るべき美しいものがあり、そして僕たち自身が美しいものを作り出せるはず」という、諦めない眼差し。そんな新海監督ですが、取材終了後の雑談において「次の企画がなかなかまとまらなくて、今、自己評価が最低なんですよ」と話されていたのが印象的でした。そう、クリエイターの苦悩は、作り続けている限り無くならない。

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