ネット上で「一重まぶた」が話題に。容姿の美醜に対する価値観をめぐる論争が起きた。ネットインフルエンサーはどう見たのか。ラッパーのなみちえさん、文筆家の古谷経衡さん、日本在住のドイツ人、マライ・メントラインさんに話を聞いた。#クロ現プラス #急上昇現場
ネット上では、5日から6日にかけて、トレンドワード「一重まぶた」が話題になり、容姿の美醜に対する価値観をめぐる論争が起きていました。これについて6日掲載した記事を元に、番組作りに協力していただいている9人のネットインフルエンサーに話を聞きました。3回に分けて、その内容を掲載します。A:人の見た目で、特に一重まぶたなんて、視力に関しては、どうでもいいし、なんていうか、悩む必要もない部分というか、生きるために悩む必要ないのに、人は悩んで、しかもそれが化粧品会社だったら、化粧品で一重まぶたをぱっちり二重に見えるとか、一重まぶたを美しく見せるためのメイクとか、はやりやすいから、その構造自体もおもしろい、興味深いと思って私は見ておりました。A:例えば、「ハーフメイク」とかっていう言い方で、メイク道具を売るときにハーフを当てにして、ぱっちり二重まぶたとか、目の色素が薄いとか、そういうのを、目の周りの情報を、外国人とか、日本とは違うエキゾチックさを当てにして、商業的にマーケティングしてるのが、すごく、ださいなって。どのハーフのこと言ってんの、台湾と日本のハーフの人のこと言ってるんですか、アフリカンアメリカンと日本のハーフの人のこと言ってんですか、どうせ白人ハーフだけだろって、思います。日本語訳したら、半分メイクってことですからね。日本語として崩壊してますね。 容姿を気にし過ぎて、そもそも自分が何をすべき人間かってことを忘れてる人間も多い。目がぱっちりで、外に出るときはこういう見た目をして、こういうバッグを持ってという人たちって、そもそも、能力のことを気にしてないなと思うのも、気になっちゃう。見た目ってあんまり能力に関係ないですよね。A:もうちょっと周りに対して無頓着でいいと思うんですよ。無頓着さもセンスがないように感じています。皮膚に対してとか。私だったら、外にいて目立つから、兄弟も同じ肌の色してるんですかみたいな言い方とかされたりとか。それ聞いたところで一円にもならないから。一重まぶたも、見えてればいいじゃないですか。頭の形とか、頭の大きさとか、顔の大きさとか、脳みそ入ってればいいじゃないですか。 例えば、バーチャルリアリティ的な、見た目が最初から選べない、完全無視みたいなスタイルを徹底するみたいな。だって、歯並びがいいですね、悪いですねとか、肌の色がどうだって、それって生産性にあんまりかかわらないし、能力的なところにもなんもかかわらない。見た目的なものが主義になってるのを能力主義に転換する方法のほうが、私は生産性があると思っています。A:単なるイシューの問題とか、一重か二重がいいという問題を超えて、女性が一般的に昔からそうだと思うんですけれども、とらわれていたある種の美的な幻想という、非常に大きなテーマが入っている。記事では、結果、整形したYouTuberがそういう手術をされて、別にしなくてもよかったんじゃないかという結論になりましたけれども、女性に対する美の押しつけみたいな、美でなければいけない。それは、美というのはイコール二重なんだというような社会的な同調とか、社会的な幻想というのが非常に、これだけ人を悩ませたり、圧力になってたんだなっていうことは、やはり考えなきゃいけないような事例で、単に一重がいいとか悪いとかっていう話を超えた話だなと思います。記事の方は、いっぱい整形されてるからいろんなところを、結局は目だけじゃなくて、いろんなところを整形してる。その背景にあるのは、コンプレックスだったり、社会的な美、美しくなきゃいけない、特に女性というのは美しさで価値が決まるんだみたいな、これは男性にも当てはまることで、それが非常に興味深かった。A:記事の女性は、ほかの部位を1000万かけて整形してるとおっしゃられていた。一重まぶた、二重まぶたっていうのは一部だと思うんですよ。ですから、どの部分とどの部分にいくらかけて、それは一重まぶたの裏側にある美への脅迫みたいなものだと思うんですけど、そのへんの事情をもうちょっと。一重まぶたか二重まぶたというのは1つの事象でしかなくて、ほぼ全部整形されてると思うんですけど、その裏にある美への執着とか、あるいは美しくなきゃなんないという社会的な強迫観念みたいなものが、ほかの部位でもどうだった、例えば鼻は高くなきゃいけないものだとか、鼻筋っていうのは整っていなきゃいけないものだとか、ほお骨っていうのは角張ってるんじゃなくて、シャープでなければならないというような、そういうものが個々個別の部位に対してあったのかどうか。答えてくれてくれるかどうか分かりませんけど、どの部位にいくらかけたのかなっていう、ちょっと知りたいですね。A:課題としては、例えば、これは整形とは関係ないけども、小顔ブームなんていうのがありましたよね。小顔であればいい、安室奈美恵さんみたいな感じがいいというブームもありましたし。そういった新しい美の価値観というか、基準が、どんどんどんどんマスメディアから、ある雑誌とかっていうものから大衆に対して植え付けられていく。そのときに、社会的な、女性というのはこういう美しさが理想なんだとか、男性というのはこういうのがかっこよさなんだっていうことへの対抗というか、あなたそのままで十分きれいじゃないかっていうような反対のものが、なかなか商業主義の中で出てこない。 ナチュラルなものを一方では礼賛する空気がありますけども、商業主義の中で美容外科、美容整形というものが、これはいいものなんだと。安全なもので、やったら人生が変わるものなんだというような雰囲気の中で、この20~30年来たと思うんですよね。それに対抗するような言説というのは、あんまりないんじゃないかと。 一方で、あいつは整形してるんだとか、実はあいつは整形なんだみたいな、自然の状態を美容整形で作り替えることが悪いんだというような風潮ってあるんですけど、僕はそれを言ってるんじゃなくて、悪いことじゃないじゃないですか。自由ですよ。 そのもので美しさっていうのは十分あるじゃないかというような、第3局みたいなのが立てないか。今、整形に対しては、整形じゃないかっていう陰口みたいなものしかない。だったら、ばれないんだったら整形したほうがいいってなるかもしれないし、非常にそのへんがアンバランスですよね。A:私は日本に来て初めて一重、二重のまぶたの事情を知ったんです。今までドイツで暮らしていて、まぶたがどうなってるのか意識することがなかったんです。日本に来て初めて結構悩んでる人が多いと知りました。例えばスマホのアプリで、いろんなフィルターとかあって、自分の外見を簡単に、犬になることもできるんですけれども、そうではなくて、もっと自分を、いわゆる美しく見せることもできる。ちょっと痩せたいとか、ここのラインちょっとシャープにみたいなのがあって、結構私の周りでも、特に女性たちがフィルターじゃないと写真撮ってないっていうのが。それはなんで使ってるのかとか、そういう写真を例えばインスタグラムとかSNSにアップしたときに、アップした人格というか、自分と、現実の自分のギャップに悩まないのかなっていうことを知りたいです。いまの時代って、現実の自分とSNS上にもう1つの自分が必ずいるんですね。私は高校で教えてるんですけれど、いろんなアプリとかを使い込んでて、そこでの自分を作るに必死というか、頑張るんですね。ツイッター上の自分もそうかもしれないし、インスタグラムの、いい暮らししてるなみたいな、そういう自分。でも、現実の世界だと普通に頑張って勉強してるとか、いろいろドラマチックな悲しいこともあったりとか、そのギャップでみんな悩んでないのかなって。整形というのは外見的なところを変えるんですけれども、SNS上でアプリによって、あるいはふるまいによって違う自分を作っちゃうのも、なんか疲れてるんじゃないかな。A:日本に来てあるとき雑誌を見たんですけど、その中に、幼稚園に通ってる子どもを迎えに行くときに着るべき服みたいなのが載ってたんです。それがすごい衝撃的で、正解がどうも紺色のいろんなアンサンブルを持ってればそれでオーケーなんですけど、なんで?なんで幼稚園に行くときに、そういう基準みたいなのがあって、それに合わせる必要があるんだろうかって、今でもよく分かんないです。同じような路線の上にリクルートスーツ問題とか、髪の色、染めるのか、染めないのか、就職活動の髪型どうするのか。それも全部美意識にもつながってるような気がしてて、そこはすごい気になります。そこの束縛に対してみんなどう思ってるんだろうかね。必要なものなのか、ほどほどにしたほうがいいのかみたいな。 日本も1つの民族でみんな同じみたいな、よく言われるんですけど、3000キロメートルの長い島国、列島は、上に行けば、南とまた全然生活・文化とか違うから、そういう意味でも全然違うし、日本人の中でもいろんな多様性があるから、そういうようなところを知ることで、もう少し楽になるんじゃないかなと思うんですね。美に対するこだわりは、おそらくすべての国になにかしらの形であって、ただそれは、全部それぞれ違うんですよね。ドイツで、マライこういうところ直したほうがいいって言われるやつと、日本で言われるやつは全然違ったりするから、正解ないじゃんって思います。 例えば、いちばん極端に分かれるのが髪の毛の色ですね。ドイツの場合だと、私は、一応金髪にはなってるんですけど、アッシュブロンドで明るくない金髪なんですね。だめな金髪なんですよ。野良犬色ってよく言われるんですけど、日本に来ると逆に、アッシュブロンドよくない?とか、その色何?地毛ですかとかって言ってくれるんです。すんません、地毛なんですみたいな。そういう感じで話してたら、すてきじゃないとかって言ってくれたりとかして、逆なんだな。ここだと逆に染めたほうがいいって言われないんだなとか、そいうような違いはあるんですよね。国によって全然見てるところも違うんだろうなと思います。.
ネット上では、5日から6日にかけて、トレンドワード「一重まぶた」が話題になり、容姿の美醜に対する価値観をめぐる論争が起きていました。これについて6日掲載した記事を元に、番組作りに協力していただいている9人のネットインフルエンサーに話を聞きました。3回に分けて、その内容を掲載します。A:人の見た目で、特に一重まぶたなんて、視力に関しては、どうでもいいし、なんていうか、悩む必要もない部分というか、生きるために悩む必要ないのに、人は悩んで、しかもそれが化粧品会社だったら、化粧品で一重まぶたをぱっちり二重に見えるとか、一重まぶたを美しく見せるためのメイクとか、はやりやすいから、その構造自体もおもしろい、興味深いと思って私は見ておりました。A:例えば、「ハーフメイク」とかっていう言い方で、メイク道具を売るときにハーフを当てにして、ぱっちり二重まぶたとか、目の色素が薄いとか、そういうのを、目の周りの情報を、外国人とか、日本とは違うエキゾチックさを当てにして、商業的にマーケティングしてるのが、すごく、ださいなって。どのハーフのこと言ってんの、台湾と日本のハーフの人のこと言ってるんですか、アフリカンアメリカンと日本のハーフの人のこと言ってんですか、どうせ白人ハーフだけだろって、思います。日本語訳したら、半分メイクってことですからね。日本語として崩壊してますね。 容姿を気にし過ぎて、そもそも自分が何をすべき人間かってことを忘れてる人間も多い。目がぱっちりで、外に出るときはこういう見た目をして、こういうバッグを持ってという人たちって、そもそも、能力のことを気にしてないなと思うのも、気になっちゃう。見た目ってあんまり能力に関係ないですよね。A:もうちょっと周りに対して無頓着でいいと思うんですよ。無頓着さもセンスがないように感じています。皮膚に対してとか。私だったら、外にいて目立つから、兄弟も同じ肌の色してるんですかみたいな言い方とかされたりとか。それ聞いたところで一円にもならないから。一重まぶたも、見えてればいいじゃないですか。頭の形とか、頭の大きさとか、顔の大きさとか、脳みそ入ってればいいじゃないですか。 例えば、バーチャルリアリティ的な、見た目が最初から選べない、完全無視みたいなスタイルを徹底するみたいな。だって、歯並びがいいですね、悪いですねとか、肌の色がどうだって、それって生産性にあんまりかかわらないし、能力的なところにもなんもかかわらない。見た目的なものが主義になってるのを能力主義に転換する方法のほうが、私は生産性があると思っています。A:単なるイシューの問題とか、一重か二重がいいという問題を超えて、女性が一般的に昔からそうだと思うんですけれども、とらわれていたある種の美的な幻想という、非常に大きなテーマが入っている。記事では、結果、整形したYouTuberがそういう手術をされて、別にしなくてもよかったんじゃないかという結論になりましたけれども、女性に対する美の押しつけみたいな、美でなければいけない。それは、美というのはイコール二重なんだというような社会的な同調とか、社会的な幻想というのが非常に、これだけ人を悩ませたり、圧力になってたんだなっていうことは、やはり考えなきゃいけないような事例で、単に一重がいいとか悪いとかっていう話を超えた話だなと思います。記事の方は、いっぱい整形されてるからいろんなところを、結局は目だけじゃなくて、いろんなところを整形してる。その背景にあるのは、コンプレックスだったり、社会的な美、美しくなきゃいけない、特に女性というのは美しさで価値が決まるんだみたいな、これは男性にも当てはまることで、それが非常に興味深かった。A:記事の女性は、ほかの部位を1000万かけて整形してるとおっしゃられていた。一重まぶた、二重まぶたっていうのは一部だと思うんですよ。ですから、どの部分とどの部分にいくらかけて、それは一重まぶたの裏側にある美への脅迫みたいなものだと思うんですけど、そのへんの事情をもうちょっと。一重まぶたか二重まぶたというのは1つの事象でしかなくて、ほぼ全部整形されてると思うんですけど、その裏にある美への執着とか、あるいは美しくなきゃなんないという社会的な強迫観念みたいなものが、ほかの部位でもどうだった、例えば鼻は高くなきゃいけないものだとか、鼻筋っていうのは整っていなきゃいけないものだとか、ほお骨っていうのは角張ってるんじゃなくて、シャープでなければならないというような、そういうものが個々個別の部位に対してあったのかどうか。答えてくれてくれるかどうか分かりませんけど、どの部位にいくらかけたのかなっていう、ちょっと知りたいですね。A:課題としては、例えば、これは整形とは関係ないけども、小顔ブームなんていうのがありましたよね。小顔であればいい、安室奈美恵さんみたいな感じがいいというブームもありましたし。そういった新しい美の価値観というか、基準が、どんどんどんどんマスメディアから、ある雑誌とかっていうものから大衆に対して植え付けられていく。そのときに、社会的な、女性というのはこういう美しさが理想なんだとか、男性というのはこういうのがかっこよさなんだっていうことへの対抗というか、あなたそのままで十分きれいじゃないかっていうような反対のものが、なかなか商業主義の中で出てこない。 ナチュラルなものを一方では礼賛する空気がありますけども、商業主義の中で美容外科、美容整形というものが、これはいいものなんだと。安全なもので、やったら人生が変わるものなんだというような雰囲気の中で、この20~30年来たと思うんですよね。それに対抗するような言説というのは、あんまりないんじゃないかと。 一方で、あいつは整形してるんだとか、実はあいつは整形なんだみたいな、自然の状態を美容整形で作り替えることが悪いんだというような風潮ってあるんですけど、僕はそれを言ってるんじゃなくて、悪いことじゃないじゃないですか。自由ですよ。 そのもので美しさっていうのは十分あるじゃないかというような、第3局みたいなのが立てないか。今、整形に対しては、整形じゃないかっていう陰口みたいなものしかない。だったら、ばれないんだったら整形したほうがいいってなるかもしれないし、非常にそのへんがアンバランスですよね。A:私は日本に来て初めて一重、二重のまぶたの事情を知ったんです。今までドイツで暮らしていて、まぶたがどうなってるのか意識することがなかったんです。日本に来て初めて結構悩んでる人が多いと知りました。例えばスマホのアプリで、いろんなフィルターとかあって、自分の外見を簡単に、犬になることもできるんですけれども、そうではなくて、もっと自分を、いわゆる美しく見せることもできる。ちょっと痩せたいとか、ここのラインちょっとシャープにみたいなのがあって、結構私の周りでも、特に女性たちがフィルターじゃないと写真撮ってないっていうのが。それはなんで使ってるのかとか、そういう写真を例えばインスタグラムとかSNSにアップしたときに、アップした人格というか、自分と、現実の自分のギャップに悩まないのかなっていうことを知りたいです。いまの時代って、現実の自分とSNS上にもう1つの自分が必ずいるんですね。私は高校で教えてるんですけれど、いろんなアプリとかを使い込んでて、そこでの自分を作るに必死というか、頑張るんですね。ツイッター上の自分もそうかもしれないし、インスタグラムの、いい暮らししてるなみたいな、そういう自分。でも、現実の世界だと普通に頑張って勉強してるとか、いろいろドラマチックな悲しいこともあったりとか、そのギャップでみんな悩んでないのかなって。整形というのは外見的なところを変えるんですけれども、SNS上でアプリによって、あるいはふるまいによって違う自分を作っちゃうのも、なんか疲れてるんじゃないかな。A:日本に来てあるとき雑誌を見たんですけど、その中に、幼稚園に通ってる子どもを迎えに行くときに着るべき服みたいなのが載ってたんです。それがすごい衝撃的で、正解がどうも紺色のいろんなアンサンブルを持ってればそれでオーケーなんですけど、なんで?なんで幼稚園に行くときに、そういう基準みたいなのがあって、それに合わせる必要があるんだろうかって、今でもよく分かんないです。同じような路線の上にリクルートスーツ問題とか、髪の色、染めるのか、染めないのか、就職活動の髪型どうするのか。それも全部美意識にもつながってるような気がしてて、そこはすごい気になります。そこの束縛に対してみんなどう思ってるんだろうかね。必要なものなのか、ほどほどにしたほうがいいのかみたいな。 日本も1つの民族でみんな同じみたいな、よく言われるんですけど、3000キロメートルの長い島国、列島は、上に行けば、南とまた全然生活・文化とか違うから、そういう意味でも全然違うし、日本人の中でもいろんな多様性があるから、そういうようなところを知ることで、もう少し楽になるんじゃないかなと思うんですね。美に対するこだわりは、おそらくすべての国になにかしらの形であって、ただそれは、全部それぞれ違うんですよね。ドイツで、マライこういうところ直したほうがいいって言われるやつと、日本で言われるやつは全然違ったりするから、正解ないじゃんって思います。 例えば、いちばん極端に分かれるのが髪の毛の色ですね。ドイツの場合だと、私は、一応金髪にはなってるんですけど、アッシュブロンドで明るくない金髪なんですね。だめな金髪なんですよ。野良犬色ってよく言われるんですけど、日本に来ると逆に、アッシュブロンドよくない?とか、その色何?地毛ですかとかって言ってくれるんです。すんません、地毛なんですみたいな。そういう感じで話してたら、すてきじゃないとかって言ってくれたりとかして、逆なんだな。ここだと逆に染めたほうがいいって言われないんだなとか、そいうような違いはあるんですよね。国によって全然見てるところも違うんだろうなと思います。
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