印象派の巨匠クロード・モネの作品を通して、彼の旅と光への探求を辿る。鉄道網の発達、国民の祝日、ヨットレース、そして異国の風景を通じて、モネの芸術的進化を紐解く。サン=ラザール駅、モントルグイユ街、アルジャントゥイユ、オランダのチューリップ畑、ロンドンのテムズ川など、多様な場所で表現された光の表現に着目する。
『サン゠ラザール駅』 1877年 油彩、カンヴァス 75×105cm︎ オルセー美術館蔵 © GrandPalaisRmn / Benoît Touchard / distributed by AMFパリに生まれたモネは、生涯にわたりフランス国内のみならず、外国にも出かけて精力的に 風景画 を制作。セーヌ河畔、ノルマンディーやブルターニュ、地中海沿岸、ロンドン、べネツィア、オランダ、ノルウェーまで、“光の画家”はすなわち“旅の画家”でもあったのだ。 「19世紀半ば以降、フランスでは鉄道網が拡張され、それに伴い観光地が増加します。モネもパリから列車で移動し、さまざまな場所を描きました」と話すのは、賀川恭子学芸員。この時期、携帯可能なチューブ入り絵の具も開発され、 印象派 の画家たちは屋外での作品制作にいそしむようになる。1851年、ロンドン万博の会場となったクリスタル・パレスはガラスと鉄骨でつくられた建造物として話題となるが、フランスでも新建材を使った建築物が駅舎などに採用された。モネはこの駅を題材に11〜12点の作品を制作し、うち8点を第3回 印象派 展に出品した。 パリのアパルトマンの窓から見下ろしたモントルグイユ街。1878年6月30日はフランス初の国民の祝日であり、70年の普仏戦争での敗北、パリ・コミューンの痛手からの復興を世界に示した。モネは人々の賑わいを上から描くことで、描き手の視点に重点を置いている。 当時、セーヌ河畔のアルジャントゥイユでは夏になると毎週ヨットレースが開催された。爽やかな青空と家並み、ヨットの帆を映した水辺、遠くには人影も見える。この頃水泳はまだ一般的でなく、川や海などの水辺で風を浴びることがレジャーとして親しまれた。 1896年2月から4月にかけて、プールヴィルとディエップに滞在。ディエップはパリに最も近い港町で、ここでもモネはいくつもの断崖の表情を描いている。さまざまな地形や季節、時間帯によって異なる光のもと、自らの芸術を追求していたことが感じられる。 1886年4月末から5月初めにかけて、チューリップの咲き乱れる季節のオランダを訪れ、描いた作品。地平線まで広がる色とりどりのチューリップの絨毯に、ポツンと佇む風車と建物がアクセントになっている。モネはこの4年後にジヴェルニーの土地を購入し、作庭に着手している。 霧のロンドンを描いたモネの連作は100点近くにのぼる。そのうちの37点は「ロンドンのテムズ河風景」と名付けられ、1904年、パリのデュラン゠リュエル画廊で発表された。光との相乗効果によって生まれた幻想的な風景は、画家の心をつかんで離さなかったであろう。.
『サン゠ラザール駅』 1877年 油彩、カンヴァス 75×105cm︎ オルセー美術館蔵 © GrandPalaisRmn / Benoît Touchard / distributed by AMFパリに生まれたモネは、生涯にわたりフランス国内のみならず、外国にも出かけて精力的に風景画を制作。セーヌ河畔、ノルマンディーやブルターニュ、地中海沿岸、ロンドン、べネツィア、オランダ、ノルウェーまで、“光の画家”はすなわち“旅の画家”でもあったのだ。 「19世紀半ば以降、フランスでは鉄道網が拡張され、それに伴い観光地が増加します。モネもパリから列車で移動し、さまざまな場所を描きました」と話すのは、賀川恭子学芸員。この時期、携帯可能なチューブ入り絵の具も開発され、印象派の画家たちは屋外での作品制作にいそしむようになる。1851年、ロンドン万博の会場となったクリスタル・パレスはガラスと鉄骨でつくられた建造物として話題となるが、フランスでも新建材を使った建築物が駅舎などに採用された。モネはこの駅を題材に11〜12点の作品を制作し、うち8点を第3回印象派展に出品した。 パリのアパルトマンの窓から見下ろしたモントルグイユ街。1878年6月30日はフランス初の国民の祝日であり、70年の普仏戦争での敗北、パリ・コミューンの痛手からの復興を世界に示した。モネは人々の賑わいを上から描くことで、描き手の視点に重点を置いている。 当時、セーヌ河畔のアルジャントゥイユでは夏になると毎週ヨットレースが開催された。爽やかな青空と家並み、ヨットの帆を映した水辺、遠くには人影も見える。この頃水泳はまだ一般的でなく、川や海などの水辺で風を浴びることがレジャーとして親しまれた。 1896年2月から4月にかけて、プールヴィルとディエップに滞在。ディエップはパリに最も近い港町で、ここでもモネはいくつもの断崖の表情を描いている。さまざまな地形や季節、時間帯によって異なる光のもと、自らの芸術を追求していたことが感じられる。 1886年4月末から5月初めにかけて、チューリップの咲き乱れる季節のオランダを訪れ、描いた作品。地平線まで広がる色とりどりのチューリップの絨毯に、ポツンと佇む風車と建物がアクセントになっている。モネはこの4年後にジヴェルニーの土地を購入し、作庭に着手している。 霧のロンドンを描いたモネの連作は100点近くにのぼる。そのうちの37点は「ロンドンのテムズ河風景」と名付けられ、1904年、パリのデュラン゠リュエル画廊で発表された。光との相乗効果によって生まれた幻想的な風景は、画家の心をつかんで離さなかったであろう。
