1980~90年代に輝いた名車や当時のカルチャーを特集。バブルを象徴する2ドアのハイソカーは、当時“ガイシャ”を相手に憧れの存在、そして“モテる”クルマとして君臨していました。そんなハイソカー筆頭のソアラやそのライバルと一緒に時代を振り返ります。
多くの人がクルマに憧れた1980〜90年代。クルマは人や荷物を運ぶ道具としての役割だけでなく、カルチャーを牽引する存在でした。そして、ドライブがデートの定番であり、クルマを持っていることがステータスでした。だからこそ当時のクルマは、乗っていた人はもちろん、所有していなかった人、まだ運転免許すら持っていなかった人にも実体験として記憶に刻まれているのではないかと感じます。日本が空前の好景気に沸いた80年代後半。その恩恵は若者たちにも及んでいました。DCブランドが隆盛を誇り、六本木や麻布十番、銀座のディスコは週末だけでなく平日も大盛況。ファッション誌やマニュアル雑誌ではデートにおすすめのレストランやバーが数多く紹介されていました。もっとも当時の遊び慣れた大人たちはそんな若者が寄り付かない最先端の場所で遊んでいたそうですが。
今となっては信じられないことですが、当時はバーやディスコ、街でナンパして女の子と話していると女の子から「クルマ、何乗ってるの?」と聞かれ、ごくごく普通の国産ハッチバックの名前を言うと「ふ〜ん、そうなんだ。じゃあね、バイバイ」とフラレてしまうのです(筆者実体験)。でも、今日より明日のほうがよくなると思うことができたのもこの時代の良さ。ひどい仕打ちを受けても、「俺も頑張っていいクルマに乗ってやる!覚えとけよ!」と前向きに考えることができたのです。 輸入車に乗っている男しか眼中にないという女の子が実在したバブル期ですが、「これだけは別」という日本車もありました。輸入車に負けないゴージャスさ、スペシャリティ感が与えられたハイソカーです。中でも2ドアクーペのハイソカーは別格で、乗っているだけで魅力が倍増。とにかくモテる素晴らしい存在だったのです。
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