スポーツ界も「曲がったことは許されない」を当たり前に 安田秀一
英国の公共放送BBCによってつまびらかにされたジャニーズ事務所の性被害問題が大きな社会問題になってきました。情報がフラット化し、権力を持つ側が情報を隠したり独占したりということができない時代。「曲がったことは許されない」という当たり前の社会がどんどん近づいてきている気がして、個人的には明るい未来の兆しのように感じています。
彼らに法的な責任がないということであるならば、法的には無実の選手たち、例えば「服装の乱れ」や「不倫」など単なるゴシップで出場停止などの処罰を与えたり、見せしめのような謝罪会見を強要したり、という必要もないはずです。人を裁く際に、立場によって違う物差しを用いるべきではありません。 僕の知る限り、他の競技団体は、抵抗勢力との争いに苦しみながらこのガバナンスコードを守るべく多大な努力をしています。バスケットボール協会のような有力団体で、しかも三屋氏のような影響力のある人物なら、どんな事情があってもこんな規定改定はすべきではありません。 日本の競技団体は歴史的にOB会のような上意下達の組織運営が基本形であり、選手たちの意見を吸い上げたり、処罰に対して抗弁したりする機能がほぼありません。根本的な解決策としては、競技団体に登録している選手による投票で理事を決めること、もしくは選手が選出する理事が必ず複数名入ることなどでしょう。競技団体は選手たちが支払う登録料が重要な活動資金になっています。すなわち納税者と同じといえなくもなく、選挙などを通じてお互いが監視し合う仕組みが不可欠でしょう。先日、東京農業大学がボクシング部を無期限活動停止処分にしました。部員が大麻所持容疑で逮捕されたためです。また、大きな報道はされていませんが、明治大学と慶応義塾大学のアメリカンフットボール部でも、20歳未満の者による飲酒という「事件」が起こり、大学側から活動停止という処分を受けました。
正しいガバナンスとは、「交通を機能させる信号機」のようなものです。そんな普遍的なルールの下で、もし一部の特権階級だけが赤信号でも渡ってもよい、という習慣がはびこったらいったいどうなるでしょうか。その行為をまねする人がたくさん出てきて、青信号でも渡れないという「正直者が損をする」堕落した社会となり、人々の活力は落ち、国力が弱まるのは自明の理だと思います。