元勲が愛した店 器の中は春らんまん…花外楼の人・歳時記 卯月 天保元(1830)年の創業から190年余り。商都で守り続けてきたのれんの歴史や集う名士らの逸話、そして華やかなりし大阪の料亭文化を料理や器、しつらいとともに紹介します。
「登楼」という言葉があった。文字通り、大阪の老舗料亭、花外楼(かがいろう)に上がることで、初めて足を踏み入れることは初登楼、通う人のことは登楼者となじみ客は言ったそうだ。幕末の志士から明治の元勲、後の政財界の重鎮まで、大阪にこの店ありと知られ、ゆかしいその名は木戸孝允が名付けた。
天保元(1830)年の創業から190年余り。商都で守り続けてきたのれんの歴史や集(つど)う名士らの逸話、そして華やかなりし大阪の料亭文化を料理や器、しつらいとともに紹介する。それではわれわれも初登楼。まずは春の料理から―。「お料理は決して主役ではないんです。おいしくて出過ぎないのがいい。お集まりいただく皆さまが主やと思いますから」。やわらかな大阪ことばで5代目女将(おかみ)の徳光正子さんが出迎えてくれた。花外楼は今も昔も変わらず土佐堀川沿いにある。木造から現在はビルとなったが、土佐堀通りから少し奥まったところに「大阪会議開催の地」と記された石碑と銘板が見え、それと気付く控えめな店構えだ。
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