【内匠宏幸】岡田彰布の引き際はいかに? 原辰徳辞任で思い出す過去の監督交代劇

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【内匠宏幸】岡田彰布の引き際はいかに? 原辰徳辞任で思い出す過去の監督交代劇
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私の心の中は1点の曇りもない! 巨人の原辰徳がこう叫び、そして「辞任します」と明かした。10月4日のDeNA戦の試合後。ファンの前で退任を告げた。これは極めて… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)。

日刊スポーツ記者、フリーライターとして約50年にわたって阪神の戦いぶりを見続けてきた内匠宏幸氏。特に岡田彰布氏との縁は深く、6球団競合の末、早大からドラフト1位で阪神に入団した1980年に密着連載を担当した。その後も選手、コーチ、第1次監督時代を通じて精力取材を続け、監督としてリーグ優勝を果たした2005年も日刊スポーツ紙面(大阪版)でコラムを連載した。その野球観、猛虎愛に触れてきた内匠氏が「岡田の野球」を追います。私の心の中は1点の曇りもない! 巨人の原辰徳がこう叫び、そして「辞任します」と明かした。10月4日のDeNA戦の試合後。ファンの前で退任を告げた。これは極めて珍しいケース。いかにも「さわやか」な原らしさが出ていた。

長い取材経験で、多くの監督の最後を目撃してきた。強く印象に残っているのは南海の兼任監督、野村克也だ。シーズン終盤、本社、球団は野村解任に進んでいた。最終決断はオーナーの川勝伝が下した。これを不服として、野村は徹底抗戦に出た。最後の東京遠征時。目黒の自宅前を早朝から張った。そこに現れたリンカーン・コンチネンタル。動き出した車の前に他社の先輩記者が立ちはだかった。1988年は広島。阿南準郎は3年目を終え、山本浩二にバトンを渡した。路線通りであったが、優勝できずに退陣するのが悔しかった。すべてが終わったあと、阿南に誘われて喫茶店に入った。「あとは浩二がやってくれる。優勝できなかったチームを彼が強くしてくれるはず。春の来ない冬はないんだから」とほほ笑んでいた。

阪神の監督交代といえば、常にゴタゴタが付きまとったもの。古くはその渦中に、いつも吉田義男と村山実がいた。両雄並び立たず…は、その通りだった。1984年は混乱に極みだった。広島と阪急の日本シリーズが行われた広島市民球場は、阪神の取材陣が多くいた。監督候補に挙げられた西本幸雄の取材のためだったが、あまりの過熱ぶりに、機構側から自粛を求められる異例の展開に。中村勝広の監督時代は時のオーナーである久万の「スカタン采配」発言がその後の去就に影響した。その後、野村克也、星野仙一と外様の大物を監督に招請。そして岡田彰布、真弓明信、和田豊と続いていくのだが、球団も熟成され、「お家騒動」の阪神にしては、表向きにスムーズな交代が続くようになった。

今回の原辞任、阿部慎之助の新監督によって、また球界監督の年齢が若返った。阿部は44歳。これによって60代の監督は岡田彰布ひとりになった(ソフトバンクの藤本は11月で60歳になるが)。これまで岡田は原の存在を励みにしていたのは間違いない。監督は年齢ではない。年にあらがいながら、培った実績で勝負にこだわった岡田と原。来季はそんな好敵手がいなくなる。65歳で監督にカムバック。ブランクの長さを危惧する声もなんのその、見事なまでの采配でリーグ優勝を果たした岡田だったが、来季はさらに「孤高の監督」として挑むことになる。気持ちの中で「原がやってるし」「原に負けないように」と、張りにしてきた材料がなくなってしまう。それでも岡田は戦う。原が阿部にあとを託したように、岡田もまた後継者に次を託すことになる。その候補に帝王学を…。このオフのコーチ陣の編成。岡田には大きな役目が待っている。【内匠宏幸】(敬称略)

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