今後10年以内に22万人が〝引退〟してしまう――。白血病などの病気の患者と、ボランティアで登録した骨髄提供のドナーをつなぐ日本骨髄バンク。ドナーになれるのは55歳までですが、現在の登録者の半数超が4
「おとうさん、ぼく、しむ(死ぬ)」 5歳を迎えようとしていた頃、田中謙智くんは病室のベッドの上で、ぽつりとつぶやきました。 大阪に住む謙智くんは、4歳の時に「再生不良性貧血」と診断されました。 39度の熱が出たため、かかりつけ医を受診。鼻に綿棒を入れて行った新型コロナの検査は陰性でした。 しかし帰宅後、鼻血が止まらなくなり、再び受診。血液検査で詳しく調べると、血小板の値が低いと分かりました。 再生不良性貧血は、血液を作る「たね」の造血幹細胞に異常が起き、貧血になったり感染症による発熱や出血が起きたり、まれに白血病になることもある難病です。 「青天の霹靂でした。どんな病気か、どういう治療が必要か必死に調べました」 父の田中浩章さん(46)はそう語ります。専門的に治療できるところを探し、名古屋の病院へ転院しました。
入院生活はコロナ禍のまっただ中でした。父の浩章さんは近くにアパートを借りてリモートワークをしながら病院に通い、妻は病室に泊まり込む日々が続きました。 謙智くんは腕からカテーテルを入れ、一日中、感染症に注意した特別な病室の狭いベッドの上で過ごします。 お見舞いも制限された状態で、まわりのベッドの子どもや付き添いの家族を気にして、体調が良い日にも思う存分遊べません。「家に帰りたい」「外に出たい」と言われるたび、浩章さんは苦しい思いになったといいます。 痛みは我慢していた謙智くんですが、月1回の骨髄検査で麻酔をかける時には、毎回「麻酔いや」「寝たくない」「やりたくない」と泣いていたそうです。 浩章さんは「代われるものなら代わってあげたいと親なら思うでしょう。息子に対してはできる限り明るく振る舞っていましたが、家でシャワーを浴びながら嗚咽したことも何度かありました」と語ります。...