「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」|NHK 取材ノート

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「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」|NHK 取材ノート
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10年前、 仙台平野を襲った あの大津波。 なぜ撮影することが できたのか。 そして津波の被害を 撮影した彼らが 選んだ道とは。 初めて語られる エピソードです。 NHK取材ノート それぞれの10年

たまたまヘリの練習をしていて、機体も外に出ていたため、ヘリは飛び立つことができた。もし格納庫に入ったままだったら、空港周辺の取材に出ていたかもしれない。津波に巻き込まれていた可能性もある。ヘリが飛べたおかげで助かった。2011年10月18日。乗り気ではなかった。たまたまヘリ当番で居合わせただけで受賞することに、違和感があった。自分じゃない人が受賞すればいいのにとさえ思った。辞退することも頭をよぎったが、自分の功績ではなく、パイロットや局内のデスクを含め、365日体制で行うNHKヘリの緊急報道体制に対しての賞だと思うことにした。

「あの現場を撮ったことに対して、誇りを持て」と言われたこともあった。撮った映像は貴重だと感じるが、そういう風に思うことはできなかった。自分の成果ではない。逆に、ヘリのおかげで自分の命が助かっただけだというのが正直な気持ちだった。爆発して以降は、外の取材が制限される機会が増え、東電の会見対応などに追われた。原発周辺の状況が気になっても、警戒区域が設置されている20キロ圏内の取材ができない。映像を撮って伝えるのが仕事なのに、足を運べない無力を感じた。 少しでも不安になっている人たちと同じ目線、近い目線でいたい。津波を撮影していた時に、自分は上空の一番安全な場所から津波を見ていたということ、頭では必要なことと理解しても、心では負い目に感じてしまっていた。現場で撮影できないフラストレーションはたまっていった。入社から3年余りたった2013年、NHKを退職する道を選んだ。転勤を打診されたが、福島を離れたくないという思いが強かったためだ。福島の自然、そこで暮らす人たちの魅力を強く感じていた。

退職後は、美術作家として活動を始めた。震災が風化していく、と感じながらもなかなか正面から向き合えなかったが、たまたま知り合った浪江町の男性との出会いが背中を後押してくれた。浪江の男性は、いつか住民が帰還できる日に向け、桜の手入れを続けていた。「帰ろうと思ったときに、ずっと咲いていた桜が今も咲いていると、気持ちは全然違うはず」そう笑顔で語る男性の前向きな姿に感動した。普通の暮らしも、いまだ戻れないところもある福島県。それぞれの場所で違う魅力があることを伝えたい。震災発生から5年が経った2016年に「福島桜紀行」は公開され、規模は小さいながらも全国各地の劇場で上映された。「自分が今やっていることは直接的な支援や、人の心を変えるという行動ではない。効率がいいとは思わないが、自分が信じる方法でやっている。あれから10年というが、福島がいまだこういう状況なのは事実。これからも客観的に福島を見続けていきたい」震災が起きた翌日の12日、鉾井に代わってヘリに搭乗。そこで見た光景について、「見てしまった十字架を背負った」と彼は語る。東京出張中だった小嶋が、空港に到着したのは12日の午前4時。局内からの指

心の中で唱えながら、撮影を続けた。一刻も早くこの状況を伝えなければ。SOSの文字を目にした時、今一番伝えなければならないのは、被害ではなく助けを求める人の居場所だと感じた。地上から「助けてください」の声が聞こえるような気がした。

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