ゼネラルモーターズが描いた壮大な世界戦略。50年前の世界における「グローバルカー」とは?
「世界的な規模であるさま。国境を越えて地球全体にかかわるさま」という意味の英語である「グローバル(grobal)」という言葉。グローバリズムだのグローバリゼーションといった変形を含めて、今では珍しくもなんともないだろう。 この「グローバル」を筆者が初めて意識したのは、今からちょうど50年をさかのぼる1974年のこと。同年10月にデビューした「いすゞ・ジェミニ」、当初は前年の1973年に生産終了した「ベレット」の後継車ということで「ベレット ジェミニ1600」と称していたが、これが世界一の自動車メーカーだったゼネラルモーターズ(GM)の世界戦略「グローバルカー構想」から生まれたモデル、と伝えられたのがきっかけだった。 GMのグローバルカー構想とは、当時GMの子会社あるいはグループ会社だったドイツのオペルやイギリスのボクスホール、ブラジルGM、オーストラリアのホールデン、そして日本のいすゞなどで、基本的に共通のモデルをベースに、それぞれの生産設備や国情に合わせてアレンジしたモデルをつくる。そうした開発・生産の合理化、スケールメリットによってコストダウンを期待したもの……ごく簡単に言えばそういうことである。 構想の発端はこうだ。1960年代末、オペルは主力となる大衆車「カデット」の次期モデルの開発を進めていた。ボクスホールはカデットの英国版ともいえる「ヴィヴァ」に代わる新たなモデルを、そしてブラジルGMは市場でひとり勝ち状態の「フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)」の対抗馬を欲していた。 そうした状況に対し、すべての子会社をコントロールしているデトロイトのGM本社で生まれたのがグローバルカー構想だったのだ。その背景には、ライバルのフォードが1967年にヨーロッパ・フォードを設立し、それまでそれぞれ独自の製品をつくっていたドイツ・フォードと英国フォードの一元化政策を始めた影響もあるだろう。しかしフォードの目指すところが英独の完全一元化だったのに対して、GMのグローバルカー構想は各国の事情に合わせ、自由裁量の範囲を残したという違いがあった。当時、欧州製小型車の主流はFFに移行しつつあったが、生産技術のレベルが異なる各国でつくられるグローバルカーであるTカーはオーソドックスなFRを採用。基本的に全世界で共通となるのはボディーシェルとシャシーで、エクステリアデザインの細部とインテリアデザイン、搭載エンジンは各社の判断に委ねられることとなった。 けれん味がなくクリーンな、基本となるカデットのエクステリアデザインを担当したのは当時オペルに在籍していた、海外で活躍する日本人カーデザイナーの先駆者である児玉英雄氏。ボディーは2/4ドアセダン、2ドアクーペ、3ドアワゴンという従来のラインナップに加えて新たに3ドアハッチバックが用意された。 開発スタートからちょうど3年、1973年3月に最初のTカーがデビューした。意外なことに、それはカデットではなくブラジルGMの「シボレー・シェヴェット」だった。ボディーは2ドアセダンのみで、このモデルのためにデトロイトで開発された1.
4リッター直4 SOHCエンジンを積んでいた。なぜブラジルが先行したかというと、ビートルへの対抗馬を渇望していたこと、またドイツでもカデットはビートルと競合するから先行実験的な意味合いもあった。カデットCのデビューから約1年後の1974年10月、いすゞからジェミニが登場する。いすゞがGMと業務提携を結んだのは1971年7月なので、Tカープロジェクトの発足当時はサークルに加わっていなかった。だが、旧態化していたベレットの後継モデルの開発に頭を悩ませていたいすゞにとって、Tカープロジェクトへの参加はタイムリーだったのだ。ちなみにジェミニ(gemini)とは英語で双子座を意味するが、いすゞとGMという2社の協力関係の象徴として命名された。 いすゞが選んだボディーは4ドアセダンと2ドアクーペ。それにベレットや「フローリアン」に積んでいた1.6リッター直4 SOHCエンジンをクロスフロー化して搭載。発売当時の広告のキャッチコピーは「これからのジェミニ。誕生」。それに「ムダなく、ムリのない今日のクルマを目指して――ヨーロッパで実証された走りと合理性。長くつきあえるクルマ、これがISUZUとGM3年目の結論です」というフレーズが続いていた。広告とはいえ、自賛や誇張することなく、ジェミニというクルマの成り立ち、性格を率直に語った文句だと思う。 さらにそれから約半年、1975年3月にイギリスで「ボクスホール・シェヴェット」が誕生した。先代にあたるヴィヴァから受け継いだ1.25リッター直4 OHVエンジンを積んだ3ドアハッチバックのみだったが、カデットCをはじめとする兄弟とはまったく異なるアグレッシブな顔つきを持っていた。 それまで年々国内シェアが低下していたボクスホールは、没個性的で地味という印象を払拭(ふっしょく)して新たなブランドイメージを創り出すことを熱望していた。そのためには新たなファミリーの顔の確立が必要と判断。選ばれたモチーフが1973年秋に少数が限定生産された高性能クーペ「フィレンザ」の空力的なスラントノーズ。これに倣った顔つきを以後登場するモデルに採用することを決め、その第1弾がシェヴェットだったのだ。その時点でGMの最小モデルは、日本車でいえば「トヨペット・コロナ マークII」や「日産ローレル」くらいのボディーに2.3リッター直4 SOHCエンジンを積んだサブコンパクトの「シボレー・ヴェガ」だった。だがそれより小型のモデルの市場投入が急務となったことから、Tカーに白羽の矢が立ったのである。 選ばれたのは3ドアハッチバック。アメリカンな味つけをされたそのボディーに、もともとブラジルGM用にデトロイトで開発した1.4リッター直4 SOHCとそれを拡大した1.6リッターエンジンを積んだモデルを「シボレー・シェヴェット」の名で、1975年9月に送り出したのだった。 セールスはまずまずだったことから、1978年にはアメリカ独自のボディーとなる5ドアハッチバックが追加され、以後はこちらが主流となった。ちなみにこのシボレー・シェヴェットは日米貿易摩擦解消の一環として日本にも輸入され、シェヴェットでなく「シボレー・シベット1600」の名でいすゞで販売された。 1980年当時、200万円前後というシベット1600の価格は「ジェミニ1600」の約2倍。輸入されたのは最高級グレードとあって装備は充実していたが、当然のごとく販売は苦戦。末期にはたたき売りに近い大幅値引きがあったとも伝えられている。 また1981年になって、シェヴェットのポンティアック版が「T1000」の名でデビューした。いっぽうビュイック部門では、1950年代からオペルを輸入販売していた経緯からカデットを輸入販売、とはいかなかった。代わりに1976年からいすゞ製のジェミニ、それもシェヴェットやT1000と競合しない4ドアセダンとクーペを「オペルbyいすゞ」やら「ビュイック・オペル」の名で売るという、ややこしいことになっていた。1974年10月に発売された当初は、パワーユニットは1.6リッター直4 SOHCのシングルキャブ仕様のみで、セダン、クーペともに「LD」「LT」「LS」という3グレードを設定。ボディーカラーはホワイトのほかはブルー、グリーン、ブラウン、シルバーのいずれもメタリックで、いささか地味な印象だった。 翌1975年からレッド、ライムグリーン、イエロー、サックスなどカデットCに設定されていたような欧州車っぽいビビッドなボディーカラーが徐々に追加され、明るいイメージに脱皮していく。1976年11月のマイナーチェンジ以降はF1ドライバーの故ジェームス・ハントをイメージキャラクターに起用し、広告では走りのイメージも訴えるようになっていった。 そして1977年6月にはカデットのような角形ヘッドライトを備えたボディーに1.8リッター直4 SOHCユニットを積んだ「1800」シリーズを追加。同年11月にマイナーチェンジされた1600にも角形ヘッドライトが与えられた。クリーンなスタイリングに明るいボディーカラーで、このころになるとジェミニは「ちょっとシャレた都会的なモデル」という評価が固まりつつあった。 1979年6月、ジェミニは大がかりなマイナーチェンジを実施してフロントおよびリアエンドのデザインを一新した。特にスポーティーグレードのLS系のみ円形、ほかは角形ヘッドライトを備えた顔つきは従来とはまったく印象が異なる。従来の通称“逆スラント”からスラントノーズとなったこの変身は、ファンの間では賛否が分かれた。 それから5カ月後の1979年11月には、2種類の新たなパワーユニットが与えられた。ひとつは新開発された1.8リッター直4 SOHCディーゼル、もうひとつは「117クーペ」に使われていた1.8リッター直4 DOHC。以後ジェミニのセールスは、いすゞお得意のディーゼルユニットを積んだ経済的なモデルと、DOHCエンジンを積んだホットな「ZZ(ダブルズィー)」に二極分化していくことになる。 1981年11月には生涯最後となるマイナーチェンジを実施。全車異形ヘッドライトを採用して当時のオペル各車に似た雰囲気の顔つきとなり、インテリアデザインもデビュー以来初めて全面的に刷新。その後も1982年11月にディーゼルターボを加えるなど車種追加や小変更を重ねながら生き延び、1985年5月に自社開発され、ダウンサイズとFF化を果たした新型が「FFジェミニ」の名で誕生した後も、「セダンZZ/R」に限りしばらく継続生産された。ジェミニがいすゞ車らしく11年近くにわたってつくられた間に、Tカーの兄弟たちはどうなっていたかというと……オペル・カデットは1979年にフルモデルチェンジし、欧州製小型車の主流となっていたエンジン横置きFFハッチバックに転身。ボクスホールも翌1980年にそれに準じた「アストラ」をリリースした。アメリカのシボレー・シェヴェットやポンティアックT1000は1987年まで、ブラジルのシボレー・シェヴェットは1993年まで20年の長命を保った。だが、次世代のTカー計画はなかった。 グローバルカー構想としては、Tカーの後に第2弾の「Jカー」があった。Tカーよりひとクラス上のエンジン横置きFFのセダンで、1981年にまずは本家アメリカで「シボレー・キャバリエ」「ポンティアックJ2000」「キャデラック・シマロン」がデビュー。次いでドイツで3代目「オペル・アスコナ」、イギリスで2代目「ボクスホール・キャバリエ」が登場。翌1982年にはアメリカで「オールズモビル・フィレンザ」「ビュイック・スカイホーク」、オーストラリアで「ホールデン・カミーラ」、1983年には日本で「いすゞ・アスカ」が誕生した。 その後はちょうどライバルのフォードのように、オペルとボクスホールは英独で一元化されたものの、このJカー計画をもってGMのグローバルカー構想は終了した。その理由はといえば、結局のところGMが期待したほどのスケールメリットが得られなかったからではないだろうか。 翻って、複数のメーカーでモデルを共同開発するケースは今日でもよくある。しかしGMのグローバル構想、なかでもTカープロジェクトのように、同じボディーを持ちつつ各国ごとにアレンジされたクルマがつくられることは、おそらく二度とないだろう。
日本 最新ニュース, 日本 見出し
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。
いすゞ史に残る成功作! 2代目「いすゞ・ジェミニ」を振り返る・・・懐かしの名車をプレイバック国内の乗用車部門をクローズしてから20年以上がたったいすゞ自動車。その歴史を振り返ると、一世を風靡(ふうび)した名車の名前が浮かんでくる。今回の2代目「ジェミニ」も、多くの人に愛された、そんな一台である。2代目「ジェミニ」について、沼田亨が熱く語る。
続きを読む »
無料ヒートマップツール「Microsoft Clarity」とは?デモを見ながら概要や活用法などを学ぶ!5/14(火)無料セミナー「無料ヒートマップツール『Microsoft Clarity』とは?」無料ヒートマップツール「Microsoft Clarity」とは?デモを見ながら概要や活用法などを学ぶ!5/14(火)無料セミナー「無料ヒートマップツール『Microsoft Clarity』とは?」 株式会社クリーク・アンド・リバー社のプレスリリース
続きを読む »
ミニ解説:近づけば十数秒で“死” 核のごみって?|日テレNEWS NNN原発を利用することでたまる一方のいわゆる「核のごみ」。この最終処分場の選定をめぐって、佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長は、第1段階となる「文献調査」を受け入れる考えを表明した。そもそも「核のごみ」とは?「最終処分場」とは?(経済部・岩田明彦)
続きを読む »
宇宙にそり立つ「創造の柱」の3D映像。まるで星雲の中を飛ぶようジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が撮影した星雲「創造の柱」。NASAがその詳細な3Dグラフィックスを公開しました。まるで、星雲の中を飛行しているようです。「創造の柱」とは?「創造の柱(Pillars of Creation)」とは、地球から6500光年ほど離れた“わし星雲”の一部であるガスと塵でできた巨大構造体のこと。そのサイズは、約4光年から5光年ほど(ちなみに、わし星雲は55光年から70光年ほ
続きを読む »




