終戦50年の村山談話への署名、自社さ政権下の党内対立、そして自民党内での派閥分裂と小泉純一郎氏への支持を巡る葛藤。政治的駆け引きと人間関係が複雑に絡み合う中で、筆者が経験した激動の時代を振り返る。
その直後に終戦50年の節目として発表されたのが、いわゆる「 村山談話 」です。日本の過去の植民地支配と侵略について「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明する内容でした。僕らへの十分な事前説明がなく、15日の閣議で知らされました。自身の思想とは正反対の内容に強い憤りを覚えましたが、強く反対できないまま署名してしまいました。 この談話が後の歴代内閣のアジア外交を大きく縛るものになるとは想像しませんでした。署名した一人として 村山談話 を批判できませんが、この反省から日本は右顧左眄(さべん)せず毅然(きぜん)とした姿勢をみせねばならないと思い、細心の注意を払って国会や閣議に臨むようにしました。自社さ政権が続いたものの、 自民党 から再び総理大臣が出たので安堵(あんど)感を覚えたものです。ただ、安全保障や経済政策をめぐり社民党(社会党から改称)や新党さきがけと連立を続けるべきかどうか党内対立が顕在化してきました。僕らは小沢一郎党首が率いる新進党の一部と組むべきだと考え、自民と新進両党の有志で勉強会をつくりました。僕らは「保保派」と呼ばれました。 メンバーは、 自民党 が亀井静香さん、与謝野馨さん、麻生太郎さんら、新進党は藤井裕久元大蔵大臣、小沢氏の「知恵袋」と言われた平野貞夫参院議員たち。自社さ政権を維持したい人たちには小沢アレルギーもあり、野中広務幹事長代理は小沢氏を「悪魔」と呼びました。保保は実現せず、僕らは非主流になりました。野中官房長官らが「悪魔にひれ伏してでも」と言って新進党解党後の自由党との連立を進めました。連立協議には僕もそれなりにかかわっていました。 僕には自自連立協議よりも大ごとがありました。僕が所属していた派閥(清和政策研究会)が総裁選で、小泉純一郎さんを応援した森喜朗さんらのグループと、「保保派」だった梶山静六元官房長官を応援した亀井さんらのグループに割れました。 僕らの知らない所で「清和研は小泉」と決めた森さんらに対して、清和研の幹部会で「けしからん」などと迫りました。すると、そばに座っていた中川秀直氏が「いつも派閥に迷惑をかけているくせに勝手なことを言うな」と吐いたんです。僕はとっさに「お前、表に出ろ」と怒声をあげ、殴り合いになりそうな雰囲気になりました。 清和研を出た亀井さんや僕らは「亀井グループ」として活動します。同じ頃、中曽根派(政策科学研究所)でも山崎拓元政調会長のグループが新しい派閥を作って真っ二つに。政科研会長になった村上正邦前参院幹事長らと一緒になろうとなりました。当時の村上さんは「参院のドン」と呼ばれる実力者。村上会長、亀井会長代行とする新派閥が結成され、僕は事務総長になりました。 派閥の名称をどうする―となり、僕が「志帥会はどうか」と提案しました。「孟子」にある「夫(そ)れ志は気之帥也」から引用したもので、志があれば気力がついていく―という意味です。村上さんが提案した「成蹊会」は「成蹊大がある」ということで賛同を得ませんでした。.
その直後に終戦50年の節目として発表されたのが、いわゆる「村山談話」です。日本の過去の植民地支配と侵略について「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明する内容でした。僕らへの十分な事前説明がなく、15日の閣議で知らされました。自身の思想とは正反対の内容に強い憤りを覚えましたが、強く反対できないまま署名してしまいました。 この談話が後の歴代内閣のアジア外交を大きく縛るものになるとは想像しませんでした。署名した一人として村山談話を批判できませんが、この反省から日本は右顧左眄(さべん)せず毅然(きぜん)とした姿勢をみせねばならないと思い、細心の注意を払って国会や閣議に臨むようにしました。自社さ政権が続いたものの、自民党から再び総理大臣が出たので安堵(あんど)感を覚えたものです。ただ、安全保障や経済政策をめぐり社民党(社会党から改称)や新党さきがけと連立を続けるべきかどうか党内対立が顕在化してきました。僕らは小沢一郎党首が率いる新進党の一部と組むべきだと考え、自民と新進両党の有志で勉強会をつくりました。僕らは「保保派」と呼ばれました。 メンバーは、自民党が亀井静香さん、与謝野馨さん、麻生太郎さんら、新進党は藤井裕久元大蔵大臣、小沢氏の「知恵袋」と言われた平野貞夫参院議員たち。自社さ政権を維持したい人たちには小沢アレルギーもあり、野中広務幹事長代理は小沢氏を「悪魔」と呼びました。保保は実現せず、僕らは非主流になりました。野中官房長官らが「悪魔にひれ伏してでも」と言って新進党解党後の自由党との連立を進めました。連立協議には僕もそれなりにかかわっていました。 僕には自自連立協議よりも大ごとがありました。僕が所属していた派閥(清和政策研究会)が総裁選で、小泉純一郎さんを応援した森喜朗さんらのグループと、「保保派」だった梶山静六元官房長官を応援した亀井さんらのグループに割れました。 僕らの知らない所で「清和研は小泉」と決めた森さんらに対して、清和研の幹部会で「けしからん」などと迫りました。すると、そばに座っていた中川秀直氏が「いつも派閥に迷惑をかけているくせに勝手なことを言うな」と吐いたんです。僕はとっさに「お前、表に出ろ」と怒声をあげ、殴り合いになりそうな雰囲気になりました。 清和研を出た亀井さんや僕らは「亀井グループ」として活動します。同じ頃、中曽根派(政策科学研究所)でも山崎拓元政調会長のグループが新しい派閥を作って真っ二つに。政科研会長になった村上正邦前参院幹事長らと一緒になろうとなりました。当時の村上さんは「参院のドン」と呼ばれる実力者。村上会長、亀井会長代行とする新派閥が結成され、僕は事務総長になりました。 派閥の名称をどうする―となり、僕が「志帥会はどうか」と提案しました。「孟子」にある「夫(そ)れ志は気之帥也」から引用したもので、志があれば気力がついていく―という意味です。村上さんが提案した「成蹊会」は「成蹊大がある」ということで賛同を得ませんでした。
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