【百人一首に見る、平安女性の恋と粋ー意外と知らない百人一首の世界を探求〈11〉】 「百人一首」の中で、女性の和歌が連続している箇所の前半の4首を前回の当コラムでは..
大弐三位は、57番の作者紫式部の娘ですから、母・娘と連続しています。しかし、歌の内容はまったく別で、58番の歌は、「後拾遺集」の恋二が出典で、詞書に「かれがれなる男の、おぼつかなく、など言ひたるによめる」とあります。しばらく訪れも途絶えていた男が、あなたがどうしているか気になるのだが、など言ってきたので詠んだということです。「有馬山猪名」とは、兵庫県の有馬温泉の付近で、「万葉集」の和歌から知られる歌枕です。猪名の篠原に風が吹いて、そよそよ音を立てている情景が思い浮かべられますが、それは序詞という技法で、下句の「そよ」を引き出すための前振りです。「そよ」は「それです」の意で、「それ」とは、男の言う「おぼつかなく」を指し、「私もそう思う」と同感を表しています。
次の赤染衛門の歌も、大弐三位と同じく、「後拾遺集」の恋二が出典ですが、恋歌の代作として詠んだもので、こうしたことは、この時代に珍しいことではありません。後に摂政関白になり、54番作者の夫となった藤原道隆が若い日に、作者の姉妹の一人と恋仲になって、ある夜期待させておいて訪れなかったので、翌朝になって作者が姉妹の気持ちを代弁して詠み道隆に送った歌です。ぐずぐずしないで、さっさと寝てしまえば良かったのに、夜更けて西空に傾き沈む時までの月を見てしまいましたよ、という内容です。訪れを期待して長々と待っていた私が馬鹿でしたとは、薄情な男を責め恨んでもいるのですが、待ち続けたのは女の意志ですから、女の男への強い恋心の吐露でもあるわけです。
母のいる丹後までの大江山から生野を行く道は遠いので、まだ丹後の有名な天橋立の地も踏まず、母からの文...