生島ヒロシ ベニー・ユキーデと空手対決?/連載6 生島ヒロシ
来月5日にフリーアナウンサー生島ヒロシ(70)がパーソナリティーを務めるTBS系ラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜午前5時)が、1998年(平10)4月6日の放送開始から6000回目の放送を迎える。今日は「生島ヒロシ6000回の歩み」と題して、アメリカ留学時代を振り返る。1971年(昭46)7月、日本からハワイ、サンフランシスコを経てロサンゼルスにたどり着きました。ロスに落ち着いて、最初に見つかった仕事がディズニーランドの隣にある、ジャパニーズビレッジっていう日本村。そこで空手のショーに出ることになりました。空手道場に寝泊まりしながら、夜は空手を教えていました。昼は空手のショーに、2カ月間出演しました。
でね、空手着を着て歩いていると、モテるんですよ。元々、僕は茶帯だったんですが、やっていくうちに黒帯になったんです。ブラックベルトをもらったら、モテてモテて(笑い)。でも、夏のバケーションシーズンが終わると、ショーも週末しか仕事がない。それで、空手道場の先生の弟子であるポリスウーマン、女性警察官の紹介で、ディズニーランドホテルで働くことになりました。 次は友達の紹介で面接に行った、アメリカ人の家に住み込んで働くことになりました。旦那さんはサーフィンなんかやっていて、鉄鋼会社の副社長。奥さんは、ビバリーヒルズとハンティントンビーチっていう住宅地に2軒、ベビー服のお店を持っている。まさにダブルインカム、2キッズ。家もすごく広くて、プールもある。
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