日本の元祖アートディレクターの粋なデザイン 再評価進む小村雪岱の回顧展 作風は、粋でモダン。主に商業美術の世界で活躍した画家ゆえに、アカデミックな美術史では語られてこなかったというが、近年うなぎ上りに注目を集めている。
大正から昭和初期にかけて、本の装丁や連載小説の挿絵、舞台美術などで類いまれなるデザイン感覚を発揮した小村雪岱(こむら・せったい、1887~1940年)。作風は、粋でモダン。主に商業美術の世界で活躍した画家ゆえに、アカデミックな美術史では語られてこなかったというが、近年うなぎ上りに注目を集めている。三井記念美術館(東京・日本橋室町)で開催中の回顧展「小村雪岱スタイル」を見れば、なぜ彼が「意匠の天才」と同時代の人々に称されたのかがわかるだろう。雪岱スタイルの素地には、日本画の伝統がある。東京美術学校(現・東京芸大)で下村観山に学び、卒業後に入社した古美術専門誌の国華社では、古画の摸写に従事。「絵巻物、琳派、浮世絵などの知識を深めたのだろう」と本展監修者の山下裕二明治学院大教授は指摘する。
雪岱のキャリアを語る上で欠かせないのが文豪、泉鏡花(1873~1939年)との関係だ。雪岱はかねてより鏡花作品の愛読者だったそうだが、そもそも「雪岱」という雅号を与え、無名の彼を自身の新作単行本「日本橋」の装丁家に抜擢(ばってき)したのが鏡花だった。地元・日本橋で開く本展は、雪岱のデビュー作にして日本のブックデザイン史に輝く名作「日本橋」(大正3年刊行)から始まる。 川の両岸に土蔵が立ち並び、色とりどりの蝶が乱舞する。端正でいてポップな表紙だけでなく、日本橋界隈(かいわい)の春夏秋冬を描いた見返しにもセンスが光り、大評判に。以降、鏡花作品の装丁は専ら雪岱が担うことになる。人気装丁家として生涯に300冊近い本の意匠を手掛けた雪岱だが、実は大正7年、31歳のときに資生堂に入社。発足間もない資生堂意匠部で、商品や広告デザインに携わった。在社はわずか5年間だったが、現在まで脈々と使い続けられている優美な「資生堂書体」の基礎を築くなど、彼のデザインセンスは今もなお、私たちの目の触れるところにある。
もちろん同時代の人々も彼を放っておかない。装丁の次は、連載小説の挿絵だ。「時事新報」に連載された里見●(=弓へんに亨)(さとみ・とん、1888~1983年)の「多情仏心」に始まり、次々と仕事が舞い込んだ。そして、邦枝完二(1892~1956年)との名コンビによる新聞小説「おせん」で、「昭和の春信」ともてはやされた雪岱の評判は不動のものとなる。 江戸中期の絵師、鈴木春信の美人画と、雪岱の表現を見比べると、確かに女性のしなやかで細身の体は春信風。でも釣り目のキリっとした表情はちょっと違う。「顔はむしろ歌川国貞を意識したのではないか」と山下教授は語る。さらに「雪岱のセンスが凝縮している」と山下教授が熱く語るのが、「おせん」の一場面を版画化した「おせん...