【日曜に書く】論説委員・河村直哉 2つの「英霊に詫びる」 半ばで倒れた死者を前にして誓いを立てるという心の働きは、両者でほとんど必然的に起こったもののように思われる。死者はもう何もできない。死者の遺志を受け継ぐのは生者しかいない。
先の大戦の終戦直後、昭和20年8月17日に産経新聞は「英霊に詫(わ)びる」と題した社説(現在の「主張」)を載せた。戦死者を「あなた」と二人称で呼び、「です・ます」体で書かれている。異様な切実さがある。4日後の8月21日、朝日新聞が短期の連載を始めた。題名は「英霊に詫びる」。1回目は作家、大佛(おさらぎ)次郎が寄稿している。
「君たちの潔よい死によって、皇国は残った。これを屈辱を越えて再建した時、君たちは始めて笑って目をつぶってくれるのではないか」「明日の君たちの笑顔とともに生きよう。その限り、君たちは生きて我らと共に在る」産経は当時、東京方面では出ていなかった。大佛は神奈川県鎌倉市に住んでいた。大佛が産経の紙面を見ていたとは考えにくい。大佛の「終戦日記」を見ると、20年8月16日に「朝日伴、田島来たる」とあり、同18日に「英霊に捧ぐを二枚半書きしのみ」とある。産経と大佛の「英霊に詫びる」の一致は、おそらく偶然のものだろう。一致は偶然であっても、半ばで倒れた死者を前にして誓いを立てるという心の働きは、両者でほとんど必然的に起こったもののように思われる。死者はもう何もできない。死者の遺志を受け継ぐのは生者しかいない。
死者にゆかりがなくても、国家なり社会なりが大量の死を経験すると、そこで生き残った生者にとってその死は人ごとではない。「あなた」「君」という二人称の性格を帯びてくる。終戦後は特にそのような感覚が共有されていたのではないか。
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