【御朱印巡り】信玄が戦場に携えた「守本尊」 甲府 円光院 御朱印に書かれた「信玄公守本尊」は、安置されている刀八毘沙門天・勝軍地蔵尊のことだ。8本の手で刀を握って獅子に乗る毘沙門天像と、馬に乗った勝軍地蔵像が一対となっている。
公家から武田信玄の正室として嫁いだ三条夫人(1521~70年)の菩提寺(ぼだいじ)で、境内に墓がある。御朱印に書かれた「信玄公守(まもり)本尊」は、安置されている刀八毘沙門天(とうはちびしゃもんてん)・勝軍(しょうぐん)地蔵尊のことだ。8本の手で刀を握って獅子に乗る毘沙門天像と、馬に乗った勝軍地蔵像が一対となっている。「これを作ったのは、慰霊の意味合いがあるのではないでしょうか」。武田浩而住職(77)は推測する。川中島の第四次合戦で、信玄は弟の信繁をはじめとして約4千人の犠牲を出した。三条夫人との間にできた子、義信は謀反に関わり、像ができた後に亡くなった。彼らの供養の意味で像を戦場に持っていったのではないかという。「寺で公開するより多くの人に見てもらえます。博物館の後はお寺でお参りして、御朱印を授かってください」と武田住職は呼び掛ける。 三条夫人が「反逆者の母」となったため、寺はあまり顧みられなかった。大正8年に約1キロ西に武田神社が創建されるとなおさらだったという。小説やドラマでも、勝頼の母、諏訪御料人が脚光を浴び、三条夫人は高慢な悪妻として描かれることが多い。.
公家から武田信玄の正室として嫁いだ三条夫人(1521~70年)の菩提寺(ぼだいじ)で、境内に墓がある。御朱印に書かれた「信玄公守(まもり)本尊」は、安置されている刀八毘沙門天(とうはちびしゃもんてん)・勝軍(しょうぐん)地蔵尊のことだ。8本の手で刀を握って獅子に乗る毘沙門天像と、馬に乗った勝軍地蔵像が一対となっている。「これを作ったのは、慰霊の意味合いがあるのではないでしょうか」。武田浩而住職(77)は推測する。川中島の第四次合戦で、信玄は弟の信繁をはじめとして約4千人の犠牲を出した。三条夫人との間にできた子、義信は謀反に関わり、像ができた後に亡くなった。彼らの供養の意味で像を戦場に持っていったのではないかという。「寺で公開するより多くの人に見てもらえます。博物館の後はお寺でお参りして、御朱印を授かってください」と武田住職は呼び掛ける。 三条夫人が「反逆者の母」となったため、寺はあまり顧みられなかった。大正8年に約1キロ西に武田神社が創建されるとなおさらだったという。小説やドラマでも、勝頼の母、諏訪御料人が脚光を浴び、三条夫人は高慢な悪妻として描かれることが多い。




